「音楽を言葉にできる稀有な人なんですよ、福田さんは」
音という要素だけで紡がれていく音楽を、言葉によって表現する。それは想像するだに難しいことと思える。ところが平野さんは、『マチネの終わりに』はもとより、以前にもショパンを主人公に据えた『葬送』も書いており、その難しさに果敢に挑戦を続けている。
平野啓一郎(以下、平野) 今回、福田さんにいろいろとお話を伺えたことは得難い経験でした。福田さんは言葉が豊かで、雑談だけでも勉強になる。「うちに来て飲んでいただけなのによくこんなに細かく書けるね」とおっしゃっていただきますけど、何気ないお話のなかに、音楽についての大事なことが含まれているんですよ。
ただ、音楽家ならみんなそうかといえば、おそらくそんなことはない。福田さんは主観的にも客観的にも、音楽を言葉にできる稀有な方なんですよ。
福田進一(以下、福田) 僕はイタリアのオスカー・ギリア先生の門下生なのですが、初めて会ったとたん先生は、「おまえは鈴木大拙を知っているか?」と僕に問いかけてこられた。続けて禅は理解しているか、侘び・寂びについてはどうだと言われて圧倒されました。音楽に対して言葉が与える影響をたいへん強調する人なのです。
先生の影響で本はずいぶん読みました。だから、なんとか平野さんとも話ができる。平野さんはけっこう難しい単語を使われるから、分からないときもありますが(笑)、どうにかこうにかついていけるのは、先生のおかげです。
平野 音楽をめぐってコミュニケーションをとるときにも、話し合うには結局言葉を使いますからね。
福田 そうなんです。聴いたらわかるというのは、きれいごとに過ぎない。違う人間どうしが意思を通じ合わせるには言葉が必要で、そこに文学的なものの存在の大きさを感じます。
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