一流アスリートの思考法を普遍性の高いものとして分け与える風土
偏屈な話者ばかりが集う場に出向くと、終始ニュートラルに偏見が飛び交うので、自分たちの見解が世論とだいぶズレていることを忘れてしまう。所属するサッカーチームのスタジアムに恋人・平愛梨を呼び出し、ひざまずいて指輪を渡す長友佑都を見た感想として、「こういう時にわざわざひざまずくのって〝今日だけは特別にひざまずくよ〟って宣言でしょ。〝特別に下手(したて)に出るからね〟ってマッチョだよね」と一致団結してしまうのである。この時点で私たちは多くの賛成票を取り逃がし、弱小野党ばりの支持率に甘んじてしまうのではないか。
長友が記した本を通読してみると、「目に見える成果が出なくても、やったぶんだけ、人は成長する。夢が実現しなくても、努力したあとには、成長した自分が待っている」(『日本男児』)、「僕の思考はいつも先を見つめている。前向きで向上心をもった思考ができていれば、人生は大きく変わる」(『上昇思考』)あたりの弁舌が続く。当然、前段落のような思考に溺れる私たちとは合うはずがないのだが、そもそも、ここ数年広まった一流アスリートの思考法を普遍性の高いものとして分け与える風土にまだまだ慣れない。
しかし、そういう思考って、あちらが強いてくるというより、こちらが失ったもの、なのかもしれない。長友が西条北中学校サッカー部を引退する際、部内で開かれた歓送試合が終わると、皆で「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、駄目になりそうなとき、それが一番大事」と声をあげた。それはサッカー部ならではのスローガンではなく、大事MANブラザーズバンド「それが大事」の歌詞なのだった。こういう一途で誠実な気持ちを、長友はまだずっと持っていて、こちらはどこかで失ったのだ。
長友の本棚を凝視する
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