悪さなんてするわけない
「おかしいな。なんでだろ?」
2月のある日、道具や肥料をしまってある一角で、夫がぶつぶつ言い出した。
「ここが米ぬかだらけなんだよ」
精米したときに除かれる米ぬかは、野菜作りの肥やしになる。うちではそれを何キロも買って、堆肥の空き袋に保管していた。
「袋が破けてるんじゃないの?」
「そうかなぁ」夫は袋を持ち上げた。「ありゃ? 穴があいてるよ」
それが、なんとも妙な穴だった。
「虫かな?」と夫が首をひねる。
「いや、これはつついた穴だよ。鳥が食べたんだよ」
穴から、中の米ぬかを食べたように見えます。
「シートをかけてるのに、どうやって鳥が入るの? ひどいね。こんなに散らかして」
夫は袋をどかし、その下に敷いてあったビニールシートをつまみ上げた。
「ん? 何だこれ?」
シートの下がおかしなことになっている。次の瞬間、
「あっ」
ちょろちょろと小動物が走り出ていったのだ。
「ネズミだっ!」
町のネズミではない。田舎のネズミだ。東京の繁華街にはネコかと思うほど巨大なネズミがうろついているが、それとはまるで違う。
「かっわい~!」
初めて見た野ネズミの愛くるしさに、私は身をよじった。
「わ~い、私の畑にネズミさんが住んでるよ~!」
ところが夫は暗い顔だ。まずいものでも見たように、つまんでいたシートを元に戻した。
「ネズミは……害獣ですよ」
「害獣? ありえないよ。あんなにかわいい生き物が、悪さなんてするわけない」
「いいえ、ネズミは害獣です。いい? ご近所さんには秘密だよ。見かけただけならともかく、こうしてうちに“巣”があるんだから」
あれは「なっちゃん」だ
私はポケットからスマホを出すと、畑のネズミについて調べた。「ネズミは根菜をかじったり、根を食べたり、ろくなことがない」「生まれて3週間もすると性的に成熟し、爆発的に増える」などと書いてある。
「どうにかしないと」と夫は言う。
「どうにかするって、どういう意味?」
「駆除しないと、大変なことになる」
駆除? アブラムシをつぶすみたいに、あんなかわいい子を殺すっていうのか?
「あなたも見たでしょ? ほとんどジャンガリアンハムスターだよ!」
我が家ではかつて、ジャンガリアンハムスターを飼っていた。巾着ナスの漬け物に似ていたので、その名も「こなす」。通称「なっちゃん」である。
「なっちゃんを駆除するなんて、できるわけない!」
「じゃあ、お隣に見つかったら、『これはネズミじゃありません。ジャンガリアンハムスターです』って言いわけするの?」
私は必死にネット検索を続けた。しかし、「かわいいので畑で飼ってます」という好意的な意見はひとつもない。「殺鼠剤で殺せ」「フォークで串刺しにしろ」という、敵意ばかりが並んでいる。
「串刺しはいくらなんでもひどいよ」 そう言って夫が出した案は、“ネズミ捕りでつかまえて水責め”というものだった。
のびる地下トンネル
「ぜったいにイヤだ!!」私は泣いた。
「でも、出ていってもらわないと困るよ。春になって繁殖したら、わんさか増えるぞ」
私は、畑じゅうに子ネズミが歩き回る様子を思い浮かべた。それはまずい気がする。だってそんなことになったら、
「……巣がどんどん広がって、ご近所の地下までのびるよね? クチトンネルみたいになるよね?」
「すごい例えだけど、まあ、そうだね」
クチトンネルは、ベトナム戦争のときに南ベトナム解放戦線が掘った地下要塞だ。映画『プラトーン』を観た人なら、エリアス軍曹がトンネルに踏み込む、緊迫したシーンをご存知だろう。
ベトナム好きの私は、ホーチミン近郊にあるこのトンネルに、人生で三度入っている。そのうち一度は夫も一緒だった。
観光用に内部を広げてあるものの、しゃがんで通るのがやっと。真っ暗闇を手探りで進まねばならず、アメリカ人観光客を顔面蒼白にさせる、おそろしいトンネルなのだ。
クチの森の中にあるトンネルの入り口。観光客は、別の場所から入ります。
クチトンネルは全長250㎞にも及ぶそうだが、うちのネズミの巣から隣の畑までは最長でも10mしかない。ネズミは解放戦線の皆さんよりはるかに穴掘りがうまそうだから、あっというまに到達するだろう。
夫は言った。
「そんなことになったら、うちがネズミの生産地になっちゃうんだよ。ご近所さんに『農園から出てけ!』って言われるぞ」
「それは困るよ」
「だろ? 巣を破壊しよう。その前に、ネズミには立ち退いてもらわないと」
「どうやって?」
「きょうこうして人間に会っちゃったわけだから、家族会議を開いて自分たちから出ていくさ」
夫によれば、かの有名な『借りぐらしのアリエッティ』も、そうやって出ていったという。
「ネズミッティもきっと引っ越しするよ。それまで1週間だけ待とう」
窮鼠猫をかむ
その日から、私は昼も夜もネズミを思い、本棚から絵本『14ひきのひっこし』を取り出して読んだ。いわむらかずおさんの傑作絵本で、14匹のネズミの家族が、森の奥のすてきなおうちへ引っ越しするお話である。
うちのネズミが何匹家族かは知らんが、この物語のように新天地を探してほしい。
1週間後、ついにその日がやってきた。
夫は、ストッカーや肥料などをそっとどかし、その下のビニールシートに手をかけた。
「神様、どうかネズミが引っ越ししてますように!」
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