23歳男性。生後一週間でマクローリン展開をする。四歳でハーヴァードに入学。六歳で数学の博士号を取る。二十歳で万物理論を完成させたのち、「コミュニケーション」の発明を行う古見宇発明研究所を設立する。
ニケ
32歳女性、千葉県出身。古見宇研究所助手。好きなものは竹輪とGINZA。嫌いなものはセリーヌ・ディオン。「宇宙の解」を知って絶望していた博士に「コミュニケーション」という難題を与え、結果的に古見宇研究所の設立に繋げる。
その日も博士は、いつものように新しく完成した発明品の説明を私にしてくれた。
「会社の飲み会マリオ」というその発明品は、専用のコンタクトレンズをつけることにより、同僚や上司が自慢話や興味のない話をはじめると、視界にマリオ風ゲームのステージが登場する。
コンタクトをつけている間は、相手に気分よく話してもらうための思考ルーチンが自動で起動する。「機械に対して一時的に脳を預けておく」ということらしい。そして、ステージに登場する敵キャラをタイミングよく倒すことが、現実世界において、相手の興味のない話に対する適切な相槌にリンクしている。つまり、こっそり机の下でコントローラーを使い、目の前のステージをクリアするだけで、退屈な飲み会の時間を愛想よくやり過ごすことができる、という発明品だった。
その発明品自体はおもしろそうだったし、たしかに便利だと思ったけれど、私はどうしても「あること」を聞きたくなって仕方なくなってしまった。
古見宇発明研究所で助手をはじめてから、ずっと抱いていた疑問だった。
それは「博士はどうして『コミュニケーション能力を上げる機械』の発明をしないのだろうか」というものだった。
でも、そのことを口に出したことは一度もなかった。どうして今まで口にしなかったのか、自分でもよくわからない。
この研究所はコミュニケーションに関する発明をする場所だ。
それなのに、たとえば「相手のプロフィールを正しく読み取る機械」だったり、「ノウハウという地雷を回避する機械」だったり、博士はいつもコミュニケーションのまわりにある、細かな部分に注目している。
「会社の飲み会」にしたって、そもそもコミュニケーションの能力が高ければ難なくやり過ごすことができるはずなのに、博士は本質的な部分に目を背け、マリオ風ゲームを作って、対処療法のようなことをしている。
博士は天才だと思う。
でも、そう思うからこそ、どうして根っこの部分を解決しないのか理解できなかった。
「会社の飲み会マリオ」を試しにやってみてから、「コンタクトを外してきます」とトイレへ向かった。戻って席に座った私は、すぐにコンタクトのケースを博士に返した。
「コントローラーも返して欲しい」
私は「わかりました」とうなずきながら「すばらしい発明だと思います」と続けた。「でも——」
「でも?」
博士が聞き返した。「どこか気になるところがある?」
「……いや、いいんです。なんでもありません」
「気になることがあるのなら、遠慮なく言ってほしいんだけどな」
発明品を片付けながら、博士がつぶやくように言った。
「……じゃあ言います。『会社の飲み会マリオ』はいいんです。発想力も技術力もすごいと思います。でも、結局飲み会で愛想よく振る舞えないのって、コミニュケーション能力が低いからですよね? 博士っていつも、その根本的な問題を解決しようとしないじゃないですか」
博士は手をとめて、直立したまま私の話を聞いていた。そのまま無言で天井を見つめてから、しばらくして「……本気でそう思ってるの?」と聞いてきた。