わたしは小説を書くことを仕事にしています。
たまに出歩いて、映画を観たり飲みに行ったりすることはありますが、まあそんな機会はさほど多いわけではありません。たいていの時間は、鉛筆を手に、じっと机の前で過ごしている。これがわたしの日常です。
眼に映る景色にさほどの変化はないにしても、机の前で集中していると不思議なことに、おぼろげながら見えてくるものがあります。少し距離を置いているからこそ、世の中のある一面が浮き彫りになるという事態は往々にしてある。
世の中で起こっている出来事を眺めていて強く感じるのは、仕事、学業、人間関係、因習、しがらみなどによって、いまを生きる人の多くは、「奴隷」になってしまっているのではないかということ。
それでいいのか。鍋の中の水を泳いでいて、その鍋が火にかけられていることに気づかず、知らないうちに茹で上げられてしまう蛙のようになってもいいのかどうか。
そこから抜け出せる可能性はあります。多少の困難を伴うかもしれませんが、自分の人生を取り戻すのだ、生き方はみずから選ぶのだという自覚を持てば、変わっていけるかもしれません。
奴隷のままでいたくなければ、少し自分自身の頭を使って考えてみるのはどうでしょう。
自分の頭で考える──。このシンプルにして味わい深い営みが、奴隷状態から抜け出すポイントだとわたしは考えます。
「奴隷」とは
ここでわたしが述べたい「奴隷」とは、たとえばこういう人を指します。