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最近、愛を試すための画期的な方法を見つけたんですよ。常磐線の終電の車内で。
あなたはたぶんこの記事を、スマホかパソコンで隙間時間に読んでくださっていると思います。なので、とっととやり方を説明しますね。とっても簡単。自分が愛と呼んでいるものが本当に愛なのかを試すための方法は、自分に対して、たったひとつ、こう質問するだけです。
「あなたの愛する人に『あなたがいなくても幸せ』と言われたら、嬉しいですか? 悲しいですか?」
なぜこれを常磐線の終電の車内で思いついたのか、ということは後に回して、今回のご投稿をご紹介しますね。「片思いの相手に二度告白して二度断られたけれど、私だけの存在でいてほしいという独占欲が消えない」というお話です。
私は、大学に通っている21歳のビアン(※)です。
(※筆者注……ビアンとは、レズビアンの略称。蔑称やポルノのジャンル名として使われてきた『レズ』という表現を避けるために、また、『レズ』という表現を避ける感覚の持ち主であるかどうかを互いに見分けるために使われる傾向がある言葉)
私には片想いをしている同級生が居ます。過去に二度告白したことがあります。二度とも断られていますが、どうしてもその同級生を忘れることが出来ずに引きずっています。
でも、その同級生は、気まずい空気を作らず、私を親友だと言ってくれて相変わらず仲が良いです。
とても嬉しいのですが、同級生は気分屋で感情の変化が激しい人なので、私と居たくないときや1人で居たいときは別の友達のところに行ったり、近づくなオーラを出してきたりします。
なので私は心の奥で「私のこと本当に好きなのか」「本当は私のことどう思っているのか」すごく気になって、考えているうちに病んでしまいます。
またこの数日、同級生が別の友達とLINEのアイコンをお揃いで設定している光景を見たときも、とても落ち込んでしまいました。今そんな状況です。嫉妬してしまったり、私だけの存在で居てほしい等の独占欲が強いのは普通なのでしょうか? それとも私が異常なのでしょうか?
(ご投稿に一部注釈を加え、全文掲載しました)
ご投稿ありがとうございます。さて、ここでもう一度、冒頭の質問を受けて考えてみていただきたいと思います。ご投稿者のあなたにも、読んでくださっているあなたにも。
「あなたの愛する人に『あなたがいなくても幸せ』と言われたら、嬉しいですか? 悲しいですか?」
さあ、どうでしょうか。
ちなみに、愛する、っていうのは、恋愛に限らない意味ですよ。すぐには答えが出ないかもしれませんね。考える時間と材料をご提供するために、ここでこの話をしましょうか。常磐線の話です。
こないだ常磐線で、こんな人と出会ったんですよ。
その人と出会ったのは、終電の車内でした。電話を片手にその人は、こんなことを怒鳴りつづけていました。
「愛してるから心配するんじゃねえか! 友達とオールするから帰ってこれねえってどういうことだよ! おめーは俺を愛してねえのかよ!(大意)」
その人は、ずーっとずーっと怒鳴り散らかしていました。何度も何度もかけなおし、電車を降りてなお、怒鳴りつづけていました。
私はなんか、寂しくなりました。
愛を支配の口実に使うなよ、って。
ありがちです。愛と名付けた支配の花園に人を囲い込み、花園の外へ出て行こうとする人にこう怒鳴る。
「私を愛してないの!?」
「これだけのことをしてあげたのに!」
これ、つまりは、「これだけの花園に住ませてやってるんだからお前は私に花を摘んで捧げろよ」という要求なわけです。「愛してあげてるんだから愛してよ」論理とでもいいましょうか。
さて、こうした「愛してあげてるんだから愛してよ」論理を前に、私が思い出すのは、子どもと養育者の関係です。
よくいますよね、支配することを愛と呼ぶ養育者って。
「あなたはほんとにもう、ママがいないとダメなんだから♡」
「パパはお前が大事だから怒っているんだ! あんな男とは別れなさい!」
こういう支配を愛と呼び続ける人は、相手の自由を奪い、自立を妨げます。
たしかに、オギャーッと生まれてきた赤ちゃんは、自力で食べ物にありつくこともできません。だから、養育者が赤ちゃんを目の届く範囲で管理し、生きるための諸判断を代行してあげてこそ、やっと赤ちゃんは生きながらえることができます。
でもなんか、それを、もはや赤ちゃんじゃない人相手にやっちゃう人っているんですよね。あまつさえ、それを「愛」とか呼びながら。
「お前は俺が養ってやるから、外で働こうなんて考えるな。愛してる」
「私のことだけ見ていてよ。女友達の連絡先は消して。愛してる」
こういう支配を愛と呼ぶことしか知らずにいることは、果たして、幸せでしょうか。
愛は、もっと自由なもののはずです。
他者を縛り支配の花園に閉じ込めることより、自分自身の苦しみを解き放つことのほうが、愛の芯に近づくための近道だと私は思います。
「お前は俺が養ってやるから、外で働こうなんて考えるな。愛してる」
「私のことだけ見ていてよ。女友達の連絡先は消して。愛してる」
こういうふうに、相手を自分の思い通りにしようとするんじゃなくて、
「俺は、あいつが外で働くと、『あなたの稼ぎが充分じゃないから』とか言われているような気がして苦しいんだ、それに、他の男の所に行っちゃうんじゃないかって恐いんだ」
「私は、あの人が私以外の人と遊んでいると不安になっちゃうの。あの人はとても魅力的な人だから、あの人の女友達もあの人を好きになっちゃうんじゃないかって恐いの」
こういうふうに、自分の弱さを素直にさらけだせたほうが、よっぽど楽だと思います。