タイトルだけですべてをかっさらっていく『夫のちんぽが入らない』は、読んでみるといい意味で裏切られる一冊である。
もちろん「ちんぽが入らない」ということを軸に話は進んでいくのだが、著者のこだまさんの描く、丁寧な人との関わり方についてのほうが本筋だろう。一気に読み切った後には、決して下世話な話をするためにちんぽが入らないわけではない、とたしなめられたような気分だった。
〈臆病な詩人〉である文月悠光さんと、『夫のちんぽが入らない』の著者・こだまさん。文月さんはこだまさんを、そして、こだまさんは文月さんを、どう見るのだろうか。
実ははじめましてではなくて
—— お二人ははじめましてですか?
文月悠光(以下、文月) 実際にお会いするのは初……? ですよね?
こだま あ、でも、昨年の文学フリマの会場で、文月さんが買いに来てくださったのは覚えています。
文月 あっ、あのときお店にいたのはやっぱりこだまさんご本人だったんですね! 確か、1年半くらい前の『クイック・ジャパン』の「真夏の大エッセイ祭り」という企画で、こだまさんの文章を拝読して、この方は別格だな……と思ったんです。
こだま わあ、ありがとうございます。名だたる中に一人、ド素人が混ざってしまって恐縮だったのですが……。でも、以前から文月さんのことを存じ上げていましたので、一緒のコーナーに載れてすごくうれしかったです。
文月 私これを電車の中で読んでて……(『夫のちんぽ~』のプルーフを手に取る)。あっ、すみません、丸出しで読むとちょっと、その、恥ずかしくて、ブックカバーをつけて読んでました……!
こだま (丸出し……)いえ! プルーフにブックカバーつけるの、いいアイディアだな、とさっきから見ていました。
文月 具体的な話の前に、やっぱりタイトルについてはツッコまなければならないかなと思うのですが……。正直、これ買いたくても本屋さんで注文しづらいんじゃないかな……って思ってしまいました、すみません(笑)。
こだま そうですよね(笑)。
文月 ですが、読み進めていくうちに、このタイトルじゃなければならない必然性がすごくよくわかったんです。このエッセイで扱っている「入らない」問題は、本人にとっては深刻だけど、他人にとってはマヌケな話でもありますよね。そのマヌケさみたいなものは、「ちんぽ」って言葉だからこそ表現できるんじゃないかなって。例えばこれがもし「ペニス」とかだったら、変にカッコつけて見えてしまうと思うんですよ。
こだま ああ、おっしゃる通りなんですよ。ほかの単語だとどれもしっくりこなかったんです。
タイトルの「入らない」が持つ意味
文月 タイトルの「入らない」の部分についてもお伺いしたいのですが、これは文字通り「入らない」という意味もありますし、大人の社会に「入れない」、世間で「これが幸せ」とされる家族の形に「入れない」というところにも掛かっているのかなと思ったんです。
こだま わあ……うれしい。タイトルについては、変える話は何度も出たのですが、だとしても「入らない」だけは使いたいと思っていたんです。ちんぽも「入らない」し、級友の輪、生徒の心、妊娠や育児の話……とあらゆる場に「入れない」自分を強く意識しながら過ごしていました。これ、読み取っていただけてすごくうれしいです。
文月 ところどころ、おもしろおかしく「入らない」が使われてもいますよね。職場で生徒や親たちに「赤ちゃんいつ産むの?」と聞かれたエピソードで、「みなさん、先生は夫のちんぽが入りません」と独白するところなんかは、悲しい話をしているのに笑ってしまいました(笑)。
こだま そういうのはもう、「ちんぽが入らない」というフレーズを書きたかっただけという……。
文月 あはは、そうなんですか。
こだま でも、よかった。こんなタイトルの本についての対談なんて、文月さんは嫌だろうな、と思って緊張してたので……(笑)。
文月 最初、この対談企画のお話をいただいたときは、本を拝読する前だったので、えっどうしよう……私、下ネタは苦手だし、エロについてもくわしくないのに……と焦りました。
こだま 私も「ちんぽ」なんて言葉は人前で言ったことないし、この本で初めて使いました。こうして、人前でこんなに言わなきゃならなくなるとは思ってもなかったです。
誰も悪者にしない書き方
文月 そのインパクトの強い言葉をタイトルも本文にも何度も使っていながらも、こだまさんの文章って言葉自体のインパクトにまったく頼っていなくて、終始柔らかい印象ですよね。
こだま 執筆中、何度も文章の中で使ううちに、だんだん記号に思えてくる感覚もあったんですよね。
文月 なるほど。この記号を利用して、もっとトゲのある書き方をすることもできたと思うんです。例えば作中に、子どもを産めない娘を「欠陥商品」と言ってしまうお母さんとか、自分の意見を強引に通そうとする同僚の先生とか、こだまさんを傷つける人が何人か出てきますよね。その人たちを悪者としておもしろく辛辣に書こうと思えばできたと思うのですが、それをまったくしていない。
こだま ああ、言われてみればそうかもしれない、といま思いました。“誰も悪者にしていない”というのは自分で考えたこともなかったですが。
文月 こだまさんは、たとえ自分が嫌な思いをしても、それぞれの境遇や、そう振る舞わざるを得ない心理を慮る視点を持って書かれているんですよね。だから、読んでいる側も誰のことも憎まなくてよくて、心がラクでした。
私は目の前の人がさんざん考え、悩み抜いた末に出した決断を、そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくはないのです。人に見せていない部分の、育ちや背景ぜんぶひっくるめて、その人の現在があるのだから。それがわかっただけでも、私は生きてきた意味があったと思うのです。
『夫のちんぽ〜』P195より
文月 それで、最後の方に書かれていたこの部分を読んで、とても納得したんです。ああ、全ページにこの寛容な考え方が散りばめられているんだなって。
こだま どうしても、憎むというより、自分が悪いんだ、という方向に走りがちなんです。
ジョンソンベビーオイルの現代詩
文月 自分が悪いんだ、ですか。でも、こだまさんの文章はところどころユーモアがある分、卑下している感じもしないんですよね。ジョンソンベビーオイルを使って「入らない問題」を解決しようとした夜のエピソードもすごく好きです。
股の間から絶え間なく流れる鮮血とジョンソンベビーオイル無香性。容器に書かれた「顔にも、からだにも使えます」の文字を指でなぞり、「ありがとう、その通りでした」と思う一方、これを使い続けることで発生する健康被害について考えた。ジョンソンベビーオイルを使用して生まれた赤ん坊は脂性になるのだろうか。ジョンソンベビーオイルで生まれた赤ん坊はジョンソンベビーオイルいらずなのだろうか。ぬるぬるとした膜の膨らみが産道をつるんと軽快に滑り下りる光景を思い浮かべた。
『夫のちんぽ~』P61より
こだま ここの部分はちょっとふざけすぎちゃったので、削ろうとも思ったんです。
文月 いえいえ、すごく素敵です! 絶対にあったほうがいいと思います!
こだま よかったです……。書いていて恥ずかしくてたまらなくて、言葉数が多くなってしまいました。
文月 私この場面をおもしろく読みながらも、「おお、こだまさんの詩が始まった!」と思ったんです。
こだま ええっ、そうですか? 詩は全然、昔ノートに書いてみたことがあるくらいですが。
文月 これ、ジョンソンベビーオイルの現代詩ですよ!
一同 (笑)。
次回「自分の失敗談を書く一番いいタイミング」は1/25更新予定
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構成:朝井麻由美
“夫のちんぽが入らない"衝撃の実話——彼女の生きてきたその道が物語になる。
いま最注目の詩人が、研ぎ澄まされた言葉でトホホな身辺を綴る、初のエッセイ集。