批評は学問のオリンピックじゃない
—— そもそも、この現代日本の批評の歴史をたどる「現代日本の批評」シリーズを行った動機は何だったんでしょう?
東浩紀(以下、東) 日本の批評の歴史は、『批評空間』*の廃刊とともに一度終わったと僕は考えています。それを再起動したいという思いがある。だから、『批評空間』でやっていた「近代日本の批評」という過去の批評史の振り返りと同じことを、その続編として『ゲンロン』でやった。それは『ゲンロン』のアイデンティティにも合ってるなと思ったんです。
*『批評空間』 1991年より太田出版から刊行された批評専門誌。そこを主な舞台として行われた柄谷行人、蓮實重彦、浅田彰、三浦雅士による共同討議「近代日本の批評」シリーズは、明治〜昭和にかけての日本の批評を概観する画期的な企画だった。『批評空間』は、何度かの休刊を挟み、最後は新たに設立された批評空間社が発行元となっていたが、2002年に廃刊。
—— 今回のように共同討議形式にしたのは、「近代日本の批評」の形式を受け継いだということでしょうか。
東 もちろんです。ただ、重要なのは、共同討議とか座談会っていうもの自体が、日本の批評の中心だということですよね。みんなで何かについてああだこうだ語るのが、日本の批評の基本形なんです。
—— 批評=座談会、ということですか? もう少し具体的に伺いたいんですが、そもそも海外と比べた時の日本の批評の特異性は、どういった部分にあるんでしょうか。
東 たとえば、英米圏におけるcriticizmっていうのは、言ってしまえば作品のレビューのことですよね。書評家や映画評論家が作品をレビューして、レーティングしていく。しかし、日本の批評って作品のことを書かないものも多いんですよ。どちらかというと、フランスの哲学なんかに近くて、著者の思考が展開されていくものを批評と呼んできた。そして、哲学が大学の中の制度的な学問だったのに対し、日本の批評は出版ジャーナリズムとともに紡がれてきた。そこで生まれたものは、私小説と哲学が混ざったような独特の文章でもあった。
—— 主観的な私小説と、理論的な哲学の間、ということですか?