サブカルの歴史なんてしれてるし、運動はそもそも歴史を必要としない
—— 今回、現代日本の批評の歴史をたどる「現代日本の批評」を振り返るにあたって、起点を1975年に定めたのは、どういった意図があるんでしょう?
東浩紀(以下、東) すごくシンプルに言うと、1975年って、昭和50年ですよね。だから区切りがいいというのがひとつ。それと、批評史的に言うとこの年に三浦雅士 * さんが『現代思想』の編集長になってるんですよ。
*三浦雅士 編集者。『ユリイカ』編集長として心理学者の岸田秀をデビューさせるなど、数多くの書き手を発掘した。自らも『私という現象 同時代を読む』(1981年)などで評論家としても活躍する希代の編集者。
—— 『ユリイカ』、『現代思想』の編集長を歴任した編集者であり評論家ですね。
東 ここから、岸田秀、蓮實重彦、柄谷行人、浅田彰といった後のニューアカブームを牽引する書き手が現れてくる。ほんとはもっと前に下地が用意されているんだけど、このへんから始めないとあまりにも年表が長くなるかなと。
—— 各時代の思想をざっくりと語っていただきたいんですが、まず「現代日本の批評Ⅰ」でカバーした1975年〜1989年はいかがですか?
東 イメージで言うと、今よりはるかに学問っぽい。あと哲学とか芸術とかが中心。端的に、頭が良さそう(笑)。
—— 特集の年表で1970年代で大きく表記されているのは、小林秀雄『本居宣長』、柄谷行人『マルクスとその可能性』、蓮實重彦『表層批評宣言』などですね。
東 これは戦後民主主義と深く関係していると思うんだけど、戦後の日本ではなぜか人文的な知が豊かに花開いていた。高度な教養を大衆に伝えようという誇りが70年代の出版人には残っていて、そのせいで「頭が良さそうな本」がたくさん出ていた。それが80年代になると一気に軽くなります。
—— 栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』(1981年)がベストセラーになり、浅田彰さんが「知のアイドル」としてテレビでも人気者になる。ニューアカブームの時代ですね。
東 そう。続く「現代日本の批評Ⅱ」で取り上げた1989年〜2001年には、冷戦崩壊を経て左右の対立が消滅しました。そこでいかに新しい言論を作るか多くの論者が模索していく中、天皇制の問題とか、憲法改正の話も出てくる。ある意味でものすごくおもしろい時期であり、小林よしのりや宮台真司といった新しいスタイルの書き手も現れました。
—— 小林よしのりは、思想を発信するのにマンガを使ったんですもんね。
東 そうです。当初の小林さんはおもしろいです。『おぼっちゃまくん』の作者が思想を語っているということ自体、ものすごく価値転倒的な存在だったわけですよね。「ごーまんかましてよかですか?」っていう決めゼリフも一種のギャグであって、彼が「真実」を語っていると思って読んでいた読者は、おそらく最初はいなかった。
でも、『戦争論』(1998年)以降、小林さんの立ち位置は大きく変わって、教祖のようになってしまいます。だから思想家としての彼をどう評価するかっていうのは非常に難しい問題なんだけど、とにかくそういう新しい論壇人が現れてきたのが90年代ですね。
—— シリーズ完結編となる「現代日本の批評Ⅲ」(『ゲンロン4』収録)で扱った2001年〜2016年は?
東 ゼロ年代は、批評のサブカル化と政治化が極端に進んだ時代です。批評家と言われている人たちが、ぼくも含め、サブカルチャーや若者文化についてばかり語り始め、政治や社会からの撤退を始めた。その対極で、ストリート/運動に走る人々が出てきて、この両極がお互いに行き着くところまで行き着いてしまった結果、新たな思想や理論を何も生み出せない状況になってしまった。そのがテン年代(2010年代)の状況です。
—— 過去の批評史との接続も途切れた。
東 まあそうですね。そもそも、サブカルの歴史なんて戦後の数十年でしかないし、運動っていうのはとにかく今この瞬間の動員が大事なのであって、歴史を必要としないものですからね。
—— どうしてサブカルと政治の両極にわかれてしまったんですかね?