「〈小〉のしくみ」 益田ミリ
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「子宮」 武田砂鉄
中学校の男子トイレには三人か四人は横に並べる大きな鏡があって、休み時間のたびにイケてる奴らが数名で占拠、人差し指に整髪料をつけて前髪をちょこちょこ微調整していた。繰り返し微調整することですっかり前髪がパキパキに固まっているようにも見えたけれど、仕上がりよりも微調整しているオレたちに酔いしれていたのだと思う。
いたずらに果敢な今井君が、案山子のように手を広げ、「ウィ——ン」や「ギュイ——ン」といった安っぽい機械音を発して、大きな鏡の前に入り込んでいった。前髪微調整部隊が「ウゼェ」という顔をする。その様子を、少し離れたところから見て笑い転げていたこちらに対しても「ウゼェ」という顔を向けてくる。前髪微調整部隊は「ウゼェ」の同調で仲間意識を育んでいた。そういうところがウザかった。
その前の授業は、保健体育の時間。だから、今井君が何を真似ているのかはすぐに分かった。子宮。女性器。教科書で見たその図解イラストだ。
僕たちには、股間にダラリンとしたモノが諸々ついているが、女の子には何もついていない。そんなことはとっくに知っていたけれど、その〝奥行き〟がどんなものなのかは漠然としたまま。だから、仲間内でも個々人が言及することを避けていた。あそこの話でガサツに盛り上がっても、具体像が問われる展開になるとはぐらかす。はぐらかし合っていることをそれぞれが自覚していたからこそ、一定の恥じらいが保たれていたし、深入りしなかった。
教科書で知ったその姿は、思いのほか、シュッとしていた。ある程度の強風に耐えている案山子のよう。秘められている、というより、それは悠然としていた。こっちはダラリンとしているのに、あっちは身構えている。直前の授業で抱えてしまった動揺を面白い方向に弾けさせることで払拭しようと試みた今井君は、男子トイレで子宮のモノマネを披露、という道を選んだ。
前髪微調整部隊が撤収すると、広げた両手の先をちょっと丸めて揺らしながら、ところでここは何をするところなんだろうね、と今井君が言う。男子は、ダラリンとしているところがピンとなって、固くなった時点で挿す。それは何となく知っている。その後が、というか、内部構造が分からない。保健体育の教科書で唐突に披露された図解。あの両サイドの丸みは、何をするところなのか。動揺を即席モノマネで解消しようとした今井君は引き続き興奮状態にあり、「挿すとウィーンって中心に出てくるんじゃないか」との分析を投げてきた。彼よりも少しは冷静だったこちらは、それはさすがにいい加減だろうと今井理論を即座に退けた。
今井理論には続きがあった。こちらのダラリンには、その下というか裏っかわに、二つの製造拠点がある。同じように、女の子は、中にその製造拠点を設けているという。
「ズドーンって入ってきたときに、あの両サイドの丸いところが、よっしゃ出番だ、って移動していくわけさ」
「じゃあ、なんで二つあるの。代わりばんこってこと?」
「どっちかはあんまり出ていかないみたいなルールがあるのかもしれない」
「何それ?」
「それは人それぞれだろうよ。リスクだってあるわけだし」
「リスクって何?」
「それも人それぞれだろうよ」
ことごとく、いい加減な答弁が続く。しかし、そのいい加減さを指摘できる知識をこちらも有していない。図解で示された、「とにかく奥のほうがけっこうなんか大変なことになっている」という事実との向き合い方が分からない。こっちは単純、あっちは複雑。となると、あっちが大人びて見える。ダラリンをわざわざピンとさせて、こっちから向かっていく側と、こっちを悠然と待ち構えている側。待ち構えているあっちの構造が分からない。そんなあっちが怖い。
今井君は時折、子宮のモノマネをしながら廊下を走るようになった。それを子宮だと知っている人はごくわずかで、怪訝な顔で今井君を見つめる女子たちを見ながら笑う。オレたちは子宮を知っているんだぞ、という浅はかな自負。皆さんのアレ、マネしちゃってるんだからね、という優越感と背徳感。
子宮のイラストはとにかくシュッとしていた。隣り合う自分たちのイラストはダラリンとしている。あれ、もしかしてその、男と女が「やる」って状態は、「さあ、いくぞ」よりも「さあ、いらっしゃい」ってほうが偉いんじゃないか。設けられていた偉い、偉くないという判断基準が情けないけれど、あの図解イラストを見てから、しばらくそういう尺度を頭の中で戦わせていた。
鏡の前で前髪をちょこちょこ微調整していた人たちには、仲良くしている女の子がたくさんいて、彼女たちは押し並べてキャピキャピしていた。そのキャピキャピと前髪パキパキは、もしかしてそういうこと、つまり図解の詳細を知っているのかなと思ったけれど、こちらは、ウィーンウィーンと動き出す今井君を笑いながら追いかける立場をいつまでも脱しなかったから、あの図解について、とにかく適当な検討だけが続いた。うやむやな検討を対外的に発表することは憚られたし、仲間内でも牽制し合うことに躊躇いが生じ始めた。分からないままにしようという雰囲気が醸成された頃、今井君は子宮のモノマネをしなくなったし、後々その史実を問うても、そんなことしてないと頑なに否定するようになった。