左翼陣営からの離脱の経緯

日本の「若者カルチャー」はいったい何に反抗しようとしていたのかを振り返り、その在り方を考察する本連載。「左翼思想との出会い」の前回に続き、社会主義と共産主義とは何だったかを著者の視点から振り返ります。

 革新的で魅力的だった左翼思想へのシンパシーは、生活が豊かになっていくにつれ、後退していった。

 1970年の終わりごろから選挙に行くようになった私は、80年代は、革新政党に投票していた。大きく不満があったわけではないが、十代のときの気分をそのまま引きずっていた。
 反抗するほうがかっこいいという心情と、革新政党のほうがより多くの人の幸せを考えているんだという気分である。細かく検証していたわけではない。自民党政権とその政策を常に批判的に見るくせがついていただけである。権力は横暴であり、怖いものだと信じていた。革新勢力が自民党を破って過半数を取るかも知れないときは、興味半分ながら革新派に肩入れして眺めていた。
 たとえば、1980年の衆議院選挙である。

 21世紀となり、年を取った私は、現在の革新派には何の興味もない。もちろんリベラル派についてもまったく興味がない。彼らが何かを変えるとか、何かをよくするとか、食い止めるとか、そんなことを気にしたことはない。そんな作業は与党内反主流派の仕事でしかないからだ。
 熱心に革新政党を応援していた私が、どこで変わったのか、そのタイミングをおもいだしつつ検証してみたい。

 1980年の選挙というのは大平正芳総理が急死して、自民党が大勝した選挙である。しかし選挙前には、自民党は過半数割れを起こし、革新政党が政権を握るかもしれないとの報道が目立った。大学生だった私は、歴史的な瞬間を新聞社で立ち会おうではないかと友人に誘われて、選挙速報のための新聞社での一日バイトにいった。けっきょく、自民党が大勝ちして、何だかおもしろくない気分になり、新聞社にあった日本酒を持ち出して、朝から皇居のお濠端で酒を飲んだ覚えがある。
 まだ革新勢力の何かに期待していた時代であった。それが1980年である。
 やがて、政権は鈴木善幸から中曽根康弘へと変わり、時代は弾けるような好景気の時代へ突入していった。のちにバブル景気と言われる時代である。
 80年代後半のこの好景気は、夢のような高度成長期であった。そしてこれが、日本国民で共有できるおそらく最後の高度経済成長であった。それまでの好景気と違い、このときは、日本経済は世界を席巻するかという報道が相次いだ。ニューヨークのロックフェラー・センタービルを日本の企業が買収したり、コロンビア映画をソニー傘下におさめたり、世界進出が目立った。世界なにするものぞ、という調子に乗った報道をよく見かけた。正直なところ、気分がよかった。おそらく1942年の日本人の気分と近かったとおもう。
 バブル期の高調子は、市場に金があふれでていたというだけではなく、この「金にものを言わせて、日本が世界に対して高飛車に出ている姿」が気持ちよかった、という側面がある。そういう報道を見るたびに、気分が高揚していった。
 日本の左翼運動の活発化は、戦後の貧しい生活に対する不満から発している。戦後の貧しい生活を引き起こしたのは、もちろん日本政府の責任であり、権力側と対決姿勢を続けていた。戦後の貧しさを引き起こした直接原因はアメリカとの全面戦争にあった。また戦後の日本の貧しさは、豊かさを謳歌しているアメリカ人の生活を見て、より厳しく意識せざるをえなかった。左翼思想の底には、明言されていないが、アメリカに対するルサンチマンが、かなり深くうめこまれているとおもわれる。日本政府に対する対決姿勢は、間接的統治をおこなっているアメリカに対する反抗姿勢でもあった。
 だから、日本経済が、アメリカそのものを打ち負かしたかのように見えたバブル期には、その恨みつらみが晴らされ、溜飲の下がるおもいをした、というのが、日本人の正直なところであろう。もちろん左翼陣営も、この日本人に大きく含まれる。実際にアメリカ経済を打ち負かしたとはいいがたいのであるが、一瞬、そのように感じられたのは確かである。戦争で負けて以来、経済分野でがんばってきた国民的アイデンティティが、ここでしっかりと確立したとも言える。(バブルの崩壊で、また不安定になるのだけれど)。いちおう、戦後社会のひとつの到達点だったと言えるだろう。
 実際にアメリカに勝ったかどうか、バブルな経済力でしかなかったのに(つまり膨張するだけ膨張して、あとで膨張部分が消し飛んだのに)勝ったとするのは間違っているのではないか、という経済的な実測は、とりあえず措く。大事なのは、アメリカ経済に勝っている、ないしはアメリカ経済と並んだ、と信じた当時のその心情である。
 その心情を国民で共有したとき、貧しい生活とはいったん縁が切れ、日本人は世界で有数の金持ちの国だと自覚するにいたった。貧乏が消えたことになる。(実際は消えてませんけど)。
 その瞬間から、左翼勢力は、勢いを落とし始めた。成功者は、あまり社会に対して不満をぶつけたりしない。そういうポジションに、日本人全員がおだてられて、のぼってしまったのである。
 戦後社会の成長は、1990年にいったん天井までたどりついた、ということである。国民がみんなでそういう指さし確認をおこなった。その確認作業が大事だった。
 たしかに、1990年には山手線は全車両が完全冷房化されており、冬の夜中でもコンビニエンスストアでいくらでもアイスクリームが買える社会になっていた。1972年の中学生の望みは叶えられた。(営団地下鉄はまだ冷房化途中ではあったのだが6年後に達成される)
 あらゆる不満や鬱屈を受け入れて活動していた戦後の左翼活動は、バブルの頂点からいきなり冷め始めた。革新系の運動は、まったく違うラインに入っていく。
 ちょうど1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソビエト社会主義共和国連邦が解体されたのと同じ時期である。
 左右の対決が、あまり意味を持たなくなった。

 実際に日本の政局でも、保守本流の自民党をめぐって、奇妙な動きが続いた。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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コメント

myarusu 当時が分からないのでこの内容の正否は分からないのだけど、結びの「根本的なところでは、左翼思想を支持するもとは『善意を発露したい』という衝動がとても大きかったとおもう 」には色々と示唆するものがある気がする。 https://t.co/l248JqY03i 8ヶ月前 replyretweetfavorite

tanayuki 「彼らが何かを変えるとか、何かをよくするとか、食い止めるとか、そんなことを気にしたことはない。そんな作業は与党内反主流派の仕事でしかないからだ」 8ヶ月前 replyretweetfavorite