教授からALSだと告知を受けたとき、私は人生で一番泣いた。それまで、他人のことを思って泣いたことはあれど、自分のことを思って泣いたことは一度もなかった。でも、自分がALSで、その病から逃れることが出来ないのだと観念したとき、私は涙を止めることができなかった。
そして、私は二つの決心をした。万が一ALSであれば、向き合わねばならないと、何度も心の中では予行練習をしていて、それを実行するときがきた。
初めて口にすることができた相手は、病棟のナースさんだった。そして、やっと固まってきた自分の決心を主人にも伝えなくてはいけない。
主人がなんと返事をしてくるのか? 全く想像がつかなかった。
私は主人と別れる覚悟を決めた。よく考えての決断だ。これからの人生のほうが長い。私の介助に、主人の大切な時間を費やしほしくない。
今まで別れ話を切り出すことができていなかった。何度も別れようと伝えようと思ったが、主人が仕事をやめて私の介護に専念し、毎日私のそばにいてくれるのが本当に嬉しかった。嬉しすぎて、別れたくないという弱気な気持ちを抑えることができなかった。それでも、告知をきっかけに、自分の心を固めることができた。
ナースさんから、「今後どうしようと思ってるのか」と聞かれ、初めて素直に自分の本音を話すことができた。
告知の時に、散々泣いて、涙は枯れたはずだった。それでも、ナースさんと話しながら、自然と涙がほほを伝っていて、止めることができなかった
「私はまだ生きたい」、「主人には、私と別れて好きに生きてほしい」と心の中で何度も唱えていたセリフを、はじめて外に向けて発した。
告知された次の日に、主人は病院にやってきた。私はなかなか話始めることができなかった。周りにいるナースさんや、母、妹が、私が切り出せるように、手助けをしてくれた。それで、やっと、どうにか言うことができた。
「私と別れよう」。
主人は首を縦に振ることはなかった。心の中のどこかで、主人が断ることは想定内だった。断られて、うれしかった。やっぱりこの人と結婚して良かったと、心底思った。
もう一つ、私には確認しておきたいことがあった。「私はまだ生きたい」と思っている。呼吸器をつけることを主人に賛成してもらえるか、確認をしなくてはいけなかった。
病院で入院中に開かせてもらった、家族とのクリスマスパーティーの様子
「私に呼吸器を付けてほしいか」と問いかけた。何回聞いても主人は、頑に「お前が決めることだから」と言って、一言も自分の意見は言わなかった。そして、「お前がつけて生きていくなら、俺はできる限りのサポートをしていくよ」とだけ繰り返し言い続けた。主治医からは「肺は正常の人の30%しか動いていない」と言われていた。生き続けたいのなら、呼吸器をつけるしかない。
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