社会主義と共産主義

日本の「若者カルチャー」はいったい何に反抗しようとしていたのかを振り返り、その在り方を考察する本連載。少年時代に出会い、当時カッコよく感じられた左翼思想へのシンパシーを著者が失うところに話はたどり着きます。

 1970年代、左翼思想はとても魅力的に感じられた。

 進歩的で、知的で、魅力的に感じられた左翼思想のおおもとは、「社会主義思想」「共産主義思想」であり、まためざすのは「社会主義の社会」「共産主義の社会」のはずである。原則としてはそうなる。
 しかし、現実運用は、少し違っていた。
 社会主義思想、共産主義思想をもとに、現政権を批判的に監視する、というのが、知的で進歩的な革新派の作業であった。あっさりいえば、自民党政権の政策を検証し、批判し、反対する、というのが主な仕事である。
 よりよい社会を作るために、いまの政権に好きなように国家運営をさせていてはいけない。常にわれわれが見張り、意見し、指導し、変えていかなければ、権力は暴圧的になり、市民の敵となっていく。みんながそう信じていた。書いてみると、おとぎ話の国のようだ。でも、多くのおとなは、そのおとぎ話の中に真剣に生きていたのである。
 日本社会党は、何でも反対する政党であるとよく揶揄されていた。このポジションの致命的な弱点が多くの人に認知されていた、ということである。しかし、それでもそういう行動に意味があると信じて、反対できることは反対する、それが善行である、と確信して行動していたのである。

 社会主義と共産主義。
 さきほどからふたつを並べて書いているが、これには理由がある。
 辞書的な解説をするならば、共産主義社会とは、資本主義が高度に発達しきって、労働者指導による政府さえも不要になる理想郷ユートピアを指している。大人が読めば、そんな社会は地上に存在したこともなければ、今後、存在することもないと断言できる妄想である。おそらく実現できるかどうかは重要視されていなかったのだ。理念が大事だったのだろう。
 社会主義社会はその前段階を指す。私有財産を禁じ、生産システムを社会が保有し、社会が主体となって計画的な生産をおこない、その利益を平等に分配するという社会システムのことを言う。これはロシアや中国などで国家的実験が行われた。21世紀から見たら、その実験は失敗だったと言える。ただ、1970年当時は、かなりの疑義は提示されていたが、まだ誰もが失敗と認める段階ではなかった。 〝社会主義国家という段階を経ることによって、共産ユートピア社会に到る〟というのがカール・マルクスたちが描いていた19世紀からのすてきな未来予想図である。
 20世紀に入り、ロシアと中国およびその周辺国の国家的実験を経て、言葉のニュアンスが違っていった。いまでは、社会主義が穏健派であり、共産主義が過激派、という意味あいで使われることが多い。それはそのまま社会党と共産党のイメージでもあった。私見であるが、わたしはそういうふうに言葉を使い分けている。
 あっさり言えば、現実の〝社会〟主義者は革命(国家権力の転覆)を目指しておらず、〝共産〟主義者は最終的には国家転覆を目標にしている、というイメージである。(あくまで個人のイメージです)。そもそも日本共産党は、敗戦後十年間は党の方針として実際に暴力革命路線を取っており、きわめて暴力的な存在であった。暴力というのは、より多くの人を幸せにするためには(権力を奪取するためには)、人の身体や生命の安全を第一の大事とは考えない、ということである。
 社会主義のほうは漸進的で、共産主義が急進的ということになる。
 漸進的社会主義は、現政権がその施策の一部を取り入れていくことは可能であるが、急進的共産主義のほうはその主張を現政権が受け入れることは、ほぼありえない。そういう違いでもある。
 19世紀には〝社会主義〟と〝共産主義〟は同じラインにある〝考え方〟だったが、20世紀に実際に施行されるにあたって、隣り合っているが違う路線として定着した。
 そのため、同じ左翼陣営であるが、一緒にするわけにはいかず、どちらかに代表させるのも違っているので併記している次第である。

 あらためて、共産主義も、社会主義も「とても素敵に発展した資本主義社会の別形態」でしかない、とおもいいたる。
 資本主義そのものを否定したり、対決する思想ではない。
〝人類は時が経つにつれて進歩し、社会は発展しつづける〟
 そう無邪気に信じられていた十九世紀らしいユートピア思想とも言える。
 要は、資本主義はこのままだと悪い方向に発展しそうだから、こうすれば良い方向に発展するのではないか、という提言が社会主義であり共産主義だった、ということなのだ。
 ほんとうに反動的で、反資本主義をとり、ブルジョアジーを殲滅し、プロレタリアートを労苦から解放したいのなら、資本の存在そのものの否定したほうがいい。
 商品経済の全面否定ないしは、大きな制限である。
 農耕と牧畜及び狩猟と採集を中心とした共同体単位での自給自足を前提として、商品の流通を意図的に狭く留める、そういう方針こそが「資本主義に反対する」立場となる。人や商品の自由な流通は禁止する。人の移動も禁止したほうがいい。職能は固定しないといけない。おそらくそれは身分の固定につながるだろう。
 そうすれば、反資本主義は達せられる。自由は我慢してもらうしかない。平等というわけにもいかない。しかし「資本家が、労働者を厳しく働かせその余剰を搾取し、一方的に裕福になり、労働者は自分の選択によって貧窮のまま苦しむ」という事態は避けられる。資本を国家所有や共有にせずとも、そもそも資本そのもの、商売そのものを否定すれば、べつの次元に進めるのである。発展する必要はないし、発展は悪である、と信じればいい。循環と輪廻が基本テーゼとなる。去年とまったく同じことを今年も繰り返していればいいし、来年も繰り返すようにすればいいだけのことである。欲を持たなければ、そのままのレベルの生活が続けられる。そういう思想こそ、反資本主義である。問題は〝人間の欲望〟の取り扱いだけである。
 べつだんそういう社会がいいと言ってるわけではない。ただ、資本主義に反対するなら、そういう体制を夢想するほうが、筋道が通っているという話をしているだけだ。
 社会主義や共産主義は、ある意味、資本主義社会の裏返しの推進ということになる。 (毛沢東の文化大革命は、このあたりの反資本主義運動の手探りの大実験であったわけだが、中国史上に永遠に名を残すような大失敗に終わってしまった)。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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consaba 堀井憲一郎 「1970年代、左翼思想はとても魅力的に感じられた。」 8ヶ月前 replyretweetfavorite