1970年ころ、世の中では〝進歩的左翼思想〟が大流行中であった。
もちろんいきなり流行りだしたわけではない。その歴史は古く、日露戦争のあとから、つまり明治の終わりころから流行っていた。とくに大東亜戦争敗戦以降、すさまじい流行りようであった。
1970年ころ、進歩的左翼思想は、言論界の主流であった。多くの知識人が、左翼的な考えを支持していた。
ちょうど中学に入り、社会に対する物心がつきはじめていた私は、その当時の風に当たっているうちに、進歩的な左翼思想がいい、とおもいはじめていた。深い理由はない。かっこいい大人たちが、かっこよく語っていたから、くらいの理由である。だからこそ強く支持していた。理屈で入ってないぶん、逆に信じる度合いは強かった。おそらく、中二病と左翼思想は親和性が高かったからなのだろう。これから大人になっていくためには、どうせなら、激しく英雄的に社会に参加したかったのだ。愚かだとはおもうが、中学生だからしかたがない。溺れるものがつかむ藁のように、近くにあった思想を掴んで沈んでいくのは、避けられないことだったのだ。
なぜ左翼思想がいいな、と1972年の中学生はおもったのか。 〝溺れるものが掴む藁〟としての左翼思想とはどんなものだったのか、当時の個人的な心情を軸におもいだしていってみたい。
左翼思想というのは、つまり社会主義思想、共産主義思想のことをいう。マルクスが考え、レーニンが実行したため、マルクス・レーニン主義という言い方もされた。日本のような資本主義形態ではなく、社会主義・共産主義をめざす思想全般をさして、左翼思想と呼んでいた。
1972年、中学3年のとき、社会の授業で、資本主義と社会主義、共産主義のことを習ったのがきっかけだったとおもう。細かいところまでは覚えていない。中学生相手だから、かなり大束な説明だった。だいたいこんな感じだった。
「世界には、資本主義と社会主義がある。資本主義は、資本家によって支配されている。つまり、お金持ちによる社会である。お金持ちによって会社や工場が作られ、一般の人々はそこで働いてお金をもらう。お金持ちは、働いた人に払った以上にお金を儲け、また次のお金儲けを始め、どんどんお金持ちになっていく。一般の人は、働いてそのぶん金をもらうだけで、お金持ちにはならない。お金持ちがどんどんお金を儲け続けるのに対して、一般の人はただ生活のお金をもらうだけで、その差はどんどん広まっていく。お金持ちと、ふつうの貧乏な人に分かれるのが資本主義社会」
「いっぽうの社会主義社会は、平等をめざす社会である。お金持ちと、一般の貧乏人との格差をなくそうとする社会だ。お金持ちが儲けると、その儲けを社会がいちど預かり、一般の貧乏な人たちに戻していく。すると金持ちと貧乏人の格差がなくなり、みんな平等になり、みんな幸せになる」
記憶によると、こんなものだった。あっさり言えば「資本主義社会はお金持ちのための社会であり、社会主義社会はみんなを幸せにする社会である」となる。あまり正しい説明とはおもえない。かなりの偏りがある。
こういう大雑把な説明をしたあと、社会の先生は、どっちがいいとおもいますか、と生徒に問うようにして、授業を終えた。
そう言われると、ふつう、幸せな社会を作るほうを選ぶ。中学生に、ほかに選びようがない。しかも、自分で選んだ、とおもわせることができる。
まさにオルグである。
オルグというのは、その思想に(この場合は共産主義思想)を信奉するように誘導する活動を言う。
世界の中心で英雄的に死にたいと考えてる中学生は、きれいに引っ掛かる。
みんなが幸せになる社会を目指すことができるなんて、それまで知らなかったし、しかもそこで自分が活動する場所があるということなど、考えたこともなかった。これだ、これこそぼくの居場所である。すんなりそう考えてしまっただけである。
社会の授業をきっかけとして、左翼思想をいいなとおもうようになっていった。
しかし、この社会の先生が特殊だったわけではなく、この授業だけが突出して政治的だったわけではない。きっかけでしかない。世間がバックアップしていたのだ。左翼思想が素敵だとおもって、新聞を見たり、テレビを見たり、雑誌を読んだりすると、ほぼすべて、その気持ちを強化してくれた。よく見ると、世の中には、これだけ同じ考えの人がいるのだ、と安心するし、自信も持つ。自分は何もしなくても、ただそういう考えに同調するだけで、とてもえらくなったように感じられた。そこが大きい。考えに同調するだけで、人としてのランクがアップするのである。とてもすてきな世界である。(もちろん現実的には何もアップしてないし、何の解決にもなっていないのだが、中学生にとって現実世界のことは二の次である)。中学の社会の授業で聞かなくても、遅かれ早かれ、いつかこの穴ぼこに落ち込んでいただろうとおもう。
世界の中心で英雄的に死にたいと、中学生がおもうのは、自分には生きてるほどの価値がないのではないか、と恐れているからである。そのぶん壮大で怪しげな思想に憧れてしまう。自己を極端に肥大化させないと、息が出来ないような気分になっていくからである。
「自分はいまは何でもない少年ではあるが、まだ世に顕れていないだけで、実は選ばれた存在である。やがてぼくは世界に大きな変革をもたらす。世界を救うのだ。ぼくが何をしなければいけないかはわからないけれど、ぼくが重要な存在であることだけは、たしかである」
妄想だとはわかっているが、かなり本気でそう考えて、元気に生きていくためのバランスを取っている。
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