第3回】危機におけるリーダーと組織の役割

家電や半導体といった分野を中心に、世界を席巻する韓国企業・サムスン。その原動力は世界で最速というべき「すばやい意思決定」にあります。詳細なリサーチや顧客ニーズの把握により、新興市場を制圧してきたサムスンの意思決定術を、吉川良三・元サムスン電子常務が解説したベストセラー『サムスンの決定はなぜ世界一速いのか』よりご紹介いたします。今回の引用は第二章「危機におけるリーダーと組織の役割」からになります。

妻と子供以外はすべて取り換えろ

 李健煕会長の「フランクフルト宣言」によってサムスンが大改革に乗り出したのは1993年のことでした。しかし、改革がグループの躍進に大きくつながっていったのは1997年にIMF危機が起きたあとになります。

 IMF危機とは、ヘッジファンドの仕掛けによって人為的に引き起こされた通貨危機です。それまで1ドル=850ウォンだったのが、その年末には1800ウォンになったのですから、ウォンの価値は半額以下にまで落ちてしまいました。そしてGDPも大幅なマイナスになったのですから、韓国経済の落ち込みようはひどいものでした。
 それ以前であれば、韓国の人たちは誰もがサムスンに入社すれば一生安泰だと考えていましたが、このときにはそんな安心感は吹き飛びました。

 IMF危機を受けて、韓国では「ビッグディール」と呼ばれる強制的な企業統合が行なわれています。このとき、韓国の財閥の中で最も大きかった現代グループは解体を余儀なくされ、ナンバースリーの大宇グループも実質的に消滅しました。
 当時、ナンバーツーだったサムスンの場合、解体こそ免れたものの、いくつもの事業からの撤退が余儀なくされました。三星自動車のルノーへの売却など、国の主導で行なわれたこともあれば、独自の判断による撤退もありました。そうした一連の整理によって、グループ会社の数は140社から83社にまで縮小されたのです。

 そんな中にあって、グループ全体の従業員数も16万人から11万5000人となり、サムスン電子でも1万2000人の強制退職が行なわれました。朝、普通に出社してきた社員に対して、明日から来なくていいと、いきなりクビが宣告される状況になっていたのです。
 それによって多くの社員がそれまでにはなかった強い危機意識を持ちました。だからこそ、そこから改革は急速に進んでいったのです。

 それまで日本に追従していくことを考えていたサムスンは、すべてのやり方を日本型にしていましたが、このとき、日本追従をやめて独自路線で行くことを決めました。
 このコース変更の際に李健煕会長は「これまで日本にお世話になったが、これからは日本のマネはしていられない」「妻と子供以外はすべて取り換える」と言い切っています。
 誰かのあとを追うのではなく、パイオニアになるのではあれば、その後のすべては未知の領域です。そういうことを覚悟してサムスンは改革を断行していったのです。

憔悴しきった財閥オーナー

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サムスンの決定はなぜ世界一速いのか

吉川良三

3月にシャープに約100億円の出資を行って第5位の株主となり、話題となったサムスン電子。その強みは、2009年に進出した中国のスマートフォン市場にて、2012年にはシェア首位を獲得するといった〝世界の新興市場を、最速で制覇する〟ことに...もっと読む

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