この作品の圧倒的リアリティが作り出す圧倒的エモさを，今の社会を生きる全ての人たちにぜひ体感してほしい．（メディアアーティスト/筑波大学助教 落合陽一）
僕は単行本派だ．左ききのエレンに対峙するとき，僕には決められたルーチンがある． iTunesでCity of the Sunの「Everything」をかける．ノイズキャンセリングイヤホンを耳に突っ込んで周囲の雑音をシャットダウンする．軽快なギターが深い集中を促し始めるまでの1分17秒の間に，kindleへのダウンロードを完了させ，1ページ目に手をかける．「天才になれなかった全ての人へ」という14文字を噛み締め，冒頭の登場人物と年代を確認すれば音楽と共々脳のセットアップは完了だ．ここから一気に読み始める．電車を乗り過ごす程度に深い集中に入る準備は整った．
この作品を開くたび僕はエレンに感情移入をして読んでしまう．疾走感のあるBGMをかけながら読むとそれがさらに高まり，張り詰めた糸のようなエレンの表情にグッとくる．エレンというアーティストはこの作品の中でクリエイティブと言われるものや表現の時代性と向き合うときに，頻繁に起こりうる失敗や挫折を繰り返し，少しずつ前に進んで行く．回想と現在が飛び交う構成の中でもエレンは常に挫折や軋轢の真ん中にいる．どのシーンでも彼女はクリエイティブとしての「合格ライン」，商業的に成立する表現の「向こう側」を見ながら，アートという文脈に聳え立つ才能の壁と向き合う日々を送っている．その神聖さとは打って変わってクリエイティブ以外の当たり前のことを当たり前にこなせない自分に悩む．でもいつしかエレンもそれが杞憂だと気づくだろう，人はできること，やれること，そして自分の武器になることをやればいいのだ．その葛藤を見て行くときに背中がむずかゆくなってくる．ああ，こんな頃が自分にもあった．
この作品と向き合うとき，全てのクリエーターは，なんらかのキャラクターに感情移入なしで読むことはできないだろう．深く自分の考え方にシンクロする登場人物が何かしらいて，周りのクリエーターや仲間を当てはめながら読んでしまうはずだ．僕はエレンと柳に深く同調するし，うちの嫁はさゆりみたいなタイプだ．うちの研究室の学生には光一みたいなやつもいれば神谷やみっちゃんのような子もいる．読み進めて行く上で，生活の中の色々なケースに当てはめてしまうほどにこの漫画はクリエーターにとって中毒性の高いものだ．クリエイティブと名のつく職業に関わり，アイディアをひねり出し，制作をして，評価を受け，それで生きて行くことを生業にしている限りつきまとう葛藤がページのいたるところに含まれているのだ．
僕は，劇中に登場するセリフの中で好きなものを３つ挙げたい．３つに絞るのも大変だったのだが，「だったらサラリーマンやれよ」と「ぼく人間ちゃうわ，デザイナーや」と「本気出せ，本気出して、それから諦めろ」である．この漫画を描いているかっぴー先生はどんな経験の中からこれを引っ張ってきているのだろうか．劇中で向かい合う才能たちが，苦みを含んだ言い回しと，等身大のセリフの投げ合いによって心にグサリとくるようなシーンを作り出していく．コピーライティングのような珠玉の台詞回しは何度も読み返すきっかけを僕に与えてくれる．アーティストとして生きること，人間性を捧げること，そして見える「その先」から溢れるエモさを意識すること，忘れてはいけないことが詰まっている．
この作品の圧倒的リアリティが作り出す圧倒的エモさを，今の社会を生きる全ての人たちにぜひ体感してほしい．
メディアアーティスト／筑波大学助教 落合陽一
