23歳男性。生後一週間でマクローリン展開をする。四歳でハーヴァードに入学。六歳で数学の博士号を取る。二十歳で万物理論を完成させたのち、「コミュニケーション」の発明を行う古見宇発明研究所を設立する。
ニケ
32歳女性、千葉県出身。古見宇研究所助手。好きなものは竹輪とGINZA。嫌いなものはセリーヌ・ディオン。「宇宙の解」を知って絶望していた博士に「コミュニケーション」という難題を与え、結果的に古見宇研究所の設立に繋げる。
「生ビールでいい?」
私がパナンザくんの言う通りに予約した焼き鳥屋で掘りごたつの座席につくと、同僚の大川さんが聞いてきた。
「はい——」
一旦はうなずいたものの、ワイアレスイヤホンから《生ビールの提案を断って、ウーロンハイを注文してください》というパナンザくんの指示が聞こえ、私は焦った。
半信半疑のまま「——あ、やっぱりウーロンハイにしてください」と注文し直した。
「あ、それなら僕もウーロンハイで」
「ビールじゃなくてよかったんですか?」
運ばれてきたウーロンハイで乾杯してから聞いてみた。
「ビールは苦手でね。いつもはまわりに合わせて注文してるんだけど」
大川さんは一気に半分ほど飲み干した。
「私もそうなんですよ」
パナンザくんの指示通りにそう答える。もちろんそんなのはウソで、私はいつもビールを飲んでいた。
「気を使わなくていいから楽だね」
その瞬間、カバンに入れていたパナンザくんのタブレットが振動し、こっそり見ると「酒」という駒が盤上で移動してから、【評価関数が上昇しました:-40→30】と表示された。
「え、マイナスだったの?」
思わずそう口にしてしまい、大川さんが「どうかした?」と聞いてきた。
「あ、いや、なんでもないです」
それからしばらくはパナンザくんの指示もなく、私たちは仕事の話をしていた。大川さんがトイレに立ったタイミングで、《彼が戻ってきたら『休日は何をしていますか?』って聞くこと》という指示が出た。
「休日は何をしてるんですか?」
席についた大川さんに聞いた。
「そうだねえ、サッカーを観たりしているかな」
「へー、サッカーですか」
「海外の試合とかも観るんだよね」
「どこの国ですか?」
「そうだねえ、イングランドとか」
「プレミアリーグですか」
私はパナンザくんに言われてあらかじめ買っていたサッカー雑誌の内容を思い出していた。
「へー、ニケさんくわしいですね」
大川さんは意外そうな顔で私の顔をじっと見つめていた。
「そうでもないですよ」
なんだか騙しているみたいで申し訳ないな、と思いながら、私は「好きな選手は誰ですか?」と聞いた。
「アレクシス・サンチェスっていう選手なんだけど」
「あー、アーセナルの」
もちろん、一週間前の私はプレミアなんちゃらについても、アレクシスなんちゃらについても何も知らなかったけれど、パナンザくんの指示で勉強していたのだった。
「え? サンチェス知ってるの?」
「知ってますよ。チリの貧しい家庭出身で、スパイク代を稼ぐためにアルバイトをしてたんですよね。スピードとテクニックに優れたすばらしい選手——」
私は「——と書いてありました」と続けそうになるのをなんとかこらえた。昨日の夜、予習として読んだばかりの雑誌の内容だった。なんだか台本を読んでいるみたいで恥ずかしくなった。
「うわ、すごくくわしいね。その通りなんだ。そうだ、今度Jリーグの試合でも観にいこうよ!」
思わず「いいですね!」とうなずいていた。
習い覚えた知識を披露しているだけでまったくサッカーに興味なかったし、オフサイドがなんなのかもわかってないのに大丈夫だろうか、と心配になりながら、私はブルブルと振動したタブレットを見た。
「趣味」の駒が移動して光り、【評価関数が上昇しました:30→400】と表示されていた。
するとそのとき、トイレに行こうと席を立った私に対して、《靴借りていいですか?》という指示が出た。意味がわからなかったけれど、私はパナンザくんのいう通り「靴借りていいですか?」と聞いた。
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