なぜ民間事故調を作ったのか
加藤貞顕(以下、加藤) 船橋さんの新刊『カウントダウン・メルトダウン』拝読しました。原発事故でみんなが混乱する中、背後にあるたくさんの人間模様が、まるでそこにいたかのよう書かれていて、とても読み応えがありました。こういう言い方がふさわしいのかわかりませんが、すごく面白い本ですね。
船橋洋一(以下、船橋) ありがとうございます。書き手としては、面白いというのはなによりの褒め言葉です。臨場感を出すことは意識したし、一番手間暇かけた部分ではありますね。
加藤 これだけの内容なので、お伺いしたい話はたくさんあるんですが、まず、船橋さんが本書を書かれたきっかけからお聞きしたいと思います。2011年に「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」を作られたんですよね。
船橋 2010年の12月に、43年務めた朝日新聞を退職して、近藤さん(近藤正晃ジェームス・一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授、Twitter社日本代表)と外交や安保のシンクタンクを作ろうという話をしていたんです。
そして具体的になにをやるかを相談しているうちに3.11が起きてしまった。加藤 そこで原発に取り組もうと思ったわけですか。
船橋 そうですね。運命的なタイミングというのか、我々のまずやるべきことはこれだろう、これしかないはずだ、と確信しました。
加藤 内閣府や国会も調査機関を作っていた中で、船橋さんは民間機関で調査をすることに意義があると思われたわけですね。
船橋 3月に震災が起きて、その月の終わりごろに政府が事故調査委員を作るという話が入ってきていたんです。しかしご存知の通り、すでに政府を信用できる状況じゃなかった。政府が調査してもまた何か隠すんじゃないか、そう思っていたのは私だけではなかったでしょう。だったら、やはり民間で独立した機関が必要だろうと思ったわけです。それで具体的に民間の事故調を作ろうと決めたのが、4月の末くらいでした。
加藤 4月末! そんなに早かったんですね。
船橋 でも、まだ母体となるシンクタンクができていなかったから、そっちの準備をすすめて、ようやく「財団法人日本再建イニシアチブ」を設立できた。同時に福島原発事故独立検証委員会を作って、最初のワーキンググループを行ったのが8月。それから調査が終わるまで約6ヶ月かかりました。
加藤 本書にはかなり克明な記述が多いんですが、その報告書の作成も生かされているんですね。実際、何人くらいにインタビューをされたんですか?
船橋 日本人が280人くらいで、アメリカ人が30人くらい。合わせてだいたい300人強ですね。
加藤 そんなに! この臨場感は、それだけの取材から生まれたものなんですね。原発事故の恐ろしさを、よりリアルに感じることができました。
船橋 いちばん大事なのは、現場の人間が何を考えどう行動したのかを記録することだと考えました。だから、まずは事故の経過のメモを取っている人を探す作業から始めました。でも日々刻々と状況が変わる中、そういう記録を残している人は少なかった。
加藤 みんな、それどころじゃなかったですよね。
船橋 関係者は寝ずに対応にあたっているから、記録を残す時間もなかった。記録していなかった人にも聞き取りをしながら、当時の状況を再現するのに手間暇をかけましたね。
船橋洋一流取材テクニック
加藤 しかし、これだけたくさんの、記録を残していなかった人たちに、どうやって話を聞いていくんですか?
船橋 要するに、その人たちと一緒に記憶を再現していくんですよ。最初は、いろんな残された記録をもとに取材をしていくんですが、事実に基づいて質問をしても、「いや、そんなの覚えてないよ」とか「そんなこと言ったかなあ」なんて答えが返ってくる。
加藤 隠しているのではなく、単純に覚えていないと。
船橋 そう。でもそういう質問を繰り返していると、どこかでキーワードみたいなものが出てくるんです。それは単語だったり、言い回しだったりするんだけど、そのキーワードに触れた瞬間に「あ、それ!」という反応がくる。記憶がよみがえってくるんだね。あとはそこに繋がるキーワードを続けてぶつけていくと、ずるずると記憶が出てくる。
加藤 その感覚、わかる気がします。とはいえ、そんなに話してくれるものなんですか?
船橋 最初はやはり、ものすごく警戒されますよ。しかしこちらが「そこまで知ってるの?」ということや、「実はそうだったの?」という情報をあげると、意外と話してくれる。でも、これは事故から1年経たないうちにインタビューできたからでしょうね。あと2、3年経ったら記憶の底に全部沈んじゃって、出てこなくなったと思いますよ。
加藤 なるほど。そういう調査って、スピードが大事なんですね。
船橋 結局、人が知っているのは、断片だけなんです。だからみんな、どうして今自分がこうなっているのかという最適解がほしい。特に官僚機関は、なまじ事故に携わっている分、全貌を知らずに動いている自分たちのことが不安なんです。だから情報をあげれば、その分返してくれることが多かった。
加藤 そうか、人はみんな知りたいし、共有したいんだ。
船橋 そう。当事者よりも取材者のほうが意外と情報を掴んでいたりすることもあるし、大臣も知らないような情報と引き換えに、また別の情報も引き出せることがあるわけです。
加藤 なるほど。取材って、そうやるのか。
船橋 「実はそういうことだったのか!」っていうことほど相手に衝撃を与えるものはない。自分たちこそが当事者で、すべての情報を握っていると思っていたのに、実はこの部分を全く知らなかった、というときの衝撃はすごいんですよ。特に、情報が勝負の役人はね。
使えなかったSPEEDI
加藤 本を読んでいてびっくりしたんですが、電力会社に対して、いわゆる「協力会社」というのがすごくたくさんあるんですね。
船橋 東芝、日立、三菱重工あたりを初めてとして、二次企業から六次企業くらいまで下請けがあるという構造です。
加藤 その人たちが原発で5600人も働いている。なのに、その中に東電の人は750人しかいない。全体の把握とか、大変そうです。
船橋 事故直後に、圧力容器内の蒸気を排出するためのベントの判断が遅かったのではないかと問題になったでしょう。何が起きていたかというと、いざベントをやろうと思った時に電気がなくて弁を開けることができなかったわけです。手動だととても固くて開かないから、なんとか可搬式コンプレッサーとこれを配管に接続するアダプターを探さないといけない。それを用意するのも下請け企業でした。
加藤 たしかに、会社をまたがって意思決定するのは時間がかかりそうです。
船橋 事故後アメリカのNRC(アメリカ合衆国原子力規制委員会)が視察に来て一番おどろいたのは、「日本は下請けがなきゃ何も回らないのか!」ってことだったみたいですね。
加藤 なるほどなあ。でもそういう話は、どこの業界にもありそうですね。
船橋 その通りですね。それがどんな弊害を生むかというと、「本当は危ないんじゃないか?」という声を上げる人がいなくなるってことなんですよ。みんながだれかに付託して、お互いにリスクを分散させることで、責任の所在がどこにあるかわからなくなる。無責任体制になる危険性がとても高い。
加藤 たしかに、発注してもらってたら、それは危ないからダメですとは言えなくなりますね。
船橋 そうそう。“空気”を読み合って、なにも進まなくなってしまうんです。で、それをいちばん象徴しているのが政府ですよね。この本に「SPEEDI」(スピーディ)についての話があったでしょう。
加藤 はい。放射性物質がどれくらい拡散するのか予測してくれるシミュレーションですね。
船橋 なにかあったときのためにと、130億円くらい使って開発してきたんだけど、それで事故が起きていざ使ってみようとなったときに、いやあれは使えませんとなったんです。
加藤 なぜですか?
船橋 もしそのデータを出して、線量の高い地域でパニックが起きたらまずい。予測が外れてむしろ危険な場所に避難させることになったらまずい。そうなったとき、責任を取らされたらまずい。官僚がそんな空気に支配されたためです。彼らは、責任を問われる状況を回避しようとするんです。だったら初めから情報を出さなければいいという思考回路になるわけです。
加藤 うーん、これをなんとかするにはどうしたらいいのかなあ。たとえば、過去に「やるべきことをやるべきときにやらなかった人」の責任については、どう考えればいいんでしょうか。
船橋 そこは大事なポイントですよね。責任は必ずある。ただ、その前に事実を明らかにし、真実に迫らないといけない。まさに、そこはジャーナリズムの出番でしょう。