十一
提灯を持つ利良を先頭にして、篠原冬一郎、黒田了介、村田新八、そして江田正蔵が、薄暮の堀川通を南に向かって歩いていた。
江田は篠原の弟分のような存在で、その剣の腕も一流だが、射撃の腕は「薩摩藩随一」と謳われるほどだった。
篠原の唸る詩吟が町辻に漂う。不逞浪士だと思ったのか、どこかの店で雨戸を閉める音がする。遠方からは詩吟に刺激を受けたらしく、長く尾を引くような犬の遠吠えが聞こえる。
薩摩・会津両藩は形ばかりに手を組んでいるので、新選組と鉢合わせしても襲われることはない。しかし夜ともなれば、何があるか分からない。利良は左右の路地にまで気を配りつつ、先頭を歩いた。
堀川通を真っ直ぐ進み、本圀寺に突き当たったところで左折すると、「小料理 藤」と書かれた行灯が見えてきた。脇窓からわずかに煙が出ているのは、お藤が今夜の仕込みをしているからだろう。
───やはり店を開けていたか。
わずかに残っていた休業の希望も消え、とたんに足の進みが滞る。
「どげんした」
篠原に背を押されたが、利良はそれ以上、進めなくなった。
「村田さん、篠原さん、今宵はやめもそ」
「何、照れ臭がっちょる」
「心配せんでよか。冷やかしは言わん」
篠原と村田が左右から言う。
「本当にからかわんでくいやいよ」
「ちと飲んだけじゃ。機嫌直して行きもそ」
黒田が、いかにもなれなれしげに利良の肩を叩く。
「了介、すけべなこっを言っちゃならんぞ」
「分かっちょる。分かっちょる」
ようやく覚悟を決めた利良が、いざ暖簾をくぐろうとした時である。
「正蔵、そいじゃ頼んど」
篠原にそう言いつけられた江田は、「はい」と言うや闇の中に姿を消した。
「篠原さん、江田はよかとですか」
「ああ、気にすんな」
「は、はい」
篠原が江田を連れてきた理由が、これで分かった。
腰高障子を開けて「来たぞ」と言うと、お藤が「おこしやす」と言って迎えに出てきた。
「お一人どすか」
「いや、今日は仲間を連れてきている」
「えっ」
お藤が驚いたように目を見開く。
「ご無礼仕る」
続いて三人が入ってきた。
「あっ、これはおおきに。どうぞお掛けやす」
お藤が三人を座敷に案内しようとしたが、村田だけは、立ったまま鴨居に飾られた神社の札を眺めている。
「どないしはりました」
篠原も草鞋を脱がず、土間の卓子に軽く背を持たせ掛けている。黒田は二人を見比べながら、どうしようかと迷っている。それを見て利良は、草鞋を脱ごうとした手を止めた。
お藤が村田に声を掛ける。
「護符にご関心がおありどすか」
「ああ、ちょっとな」
村田の視線は一つの護符に止まり、微動だにしない。
「あれは浅草神社の護符か」
「へえ」
お藤の顔色が変わり、少し身を引いたように感じられた。
「近頃、浅草神社の護符をよく見かける。のう冬一郎」
「ああ、そう言えば、よく見かけるな」
篠原が険しい顔で答える。
「この護符は、東国帰りの常連はんが、くれはりましたんどす」
お藤が笑みを浮かべて答えたが、どこかぎこちない。
「何という名のお方かい」
「えっ」
突然のことに、お藤は答えられない。
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