走狗

この一身を国家に捧げようと思っている

西郷・大久保の連絡係を担っていた川路は、次に新選組隊士・伊東甲子太郎と出会う。
伊東は、新選組や幕府の情報を薩摩藩に売っていたのであった。



 思案橋を渡って島原の大門をくぐった利良は、おおどおりどうすじという島原の主要道を進むと、下之町の路地に入り、目立たない小路の奥にある鶴屋を見つけた。

 玄関口で案内を請うと無愛想な仲居が現れ、奥まった場所にある八畳間に通された。

 小半刻ほど待っていると、「ご無礼仕る」という声と共に、中肉中背の男が現れた。

 伊東甲子太郎である。

 天保六年(一八三五)生まれの伊東は、利良より一つ下の三十一歳。常ひたちの国のづく藩士の家に生まれ、元の姓は鈴木といったが、江戸に出てきてほくしん一刀流の伊東せいいちの門人になり、後に腕と人物を見込まれて養子入りした。その後、憂国の情捨て難く、新選組の勧誘に応じ、参謀という好待遇で迎えられていた。

 国学の素養に富み、和歌や漢詩を好み、弁舌さわやかな美男子という申し分のない男である。

 伊東はくろぶたの紋付着物にななおりの紋付羽織を着て、ねずたてじませんだいひらはかま穿いており、その羽振りのよさがうかがえた。すでに両刀は店に預けているが、その隙のない身のこなしから、相当の使い手だと分かる。

 ───身の丈は五尺七寸(約一七三センチメートル)くらいか。

 六尺の利良には及ばないものの、すらりとした体形でありながら、伊東は大藩の家老のような風格を漂わせている。

「薩摩藩の川路正之進にそうろう

「新選組の伊東甲子太郎」

 二人が軽く会釈を交わすと、仲居が酒と食事を運んできた。

 仲居が立ち去るのを確かめた後、伊東の方から利良の盃に酒を注いでくれた。

とんしょを出るのも一苦労でしてね。遅れて申し訳ない」

「いえ、お気になさらず」

 利良が伊東の盃に酒を注ぎ返す。

「貴殿が、新たな手筋となるのですな」

 ───そんなことは聞いていない。

 とはいうものの、西郷ははらで語るので、すべてに察しをつけねばならない。

「仰せの通り。当面、手筋をやらせていただきます」

 手筋とは交渉窓口のことである。

「貴殿なら腕も立ちそうだ。何せ新選組というところは物騒でね。それで貴殿の流派は───」

「直心影流の免許をいただいております」

 薩摩藩士の大半はとめりゅう(藩外への伝承を禁じられた流派)の示現流を習う。ところが利良の場合、近くにあったというだけの理由で、直心影流の道場に入った。

「それなら安心だ。それがしは神道無念流と北辰一刀流を修めているが、新選組の剣士たちはてんねんしん流という、あまり知られていない剣術を使う。知っておられるか」

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2016-12-19

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伊東潤デビュー10周年の集大成 警察の父・川路利良大警視(現:警視総監)の生涯を描いた長編時代小説 明治維新――。それは、謀略渦巻く、弱肉強食の時代。 純粋な志を持つ男たちが、権力を握るや、醜い修羅へと変わってしまう。 薩摩藩の下...もっと読む

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