七
思案橋を渡って島原の大門をくぐった利良は、大通胴筋という島原の主要道を進むと、下之町の路地に入り、目立たない小路の奥にある鶴屋を見つけた。
玄関口で案内を請うと無愛想な仲居が現れ、奥まった場所にある八畳間に通された。
小半刻ほど待っていると、「ご無礼仕る」という声と共に、中肉中背の男が現れた。
伊東甲子太郎である。
天保六年(一八三五)生まれの伊東は、利良より一つ下の三十一歳。常陸国の志筑藩士の家に生まれ、元の姓は鈴木といったが、江戸に出てきて北辰一刀流の伊東精一の門人になり、後に腕と人物を見込まれて養子入りした。その後、憂国の情捨て難く、新選組の勧誘に応じ、参謀という好待遇で迎えられていた。
国学の素養に富み、和歌や漢詩を好み、弁舌さわやかな美男子という申し分のない男である。
伊東は黒羽二重の紋付着物に七子織の紋付羽織を着て、鼡縦縞の仙台平の袴を穿いており、その羽振りのよさがうかがえた。すでに両刀は店に預けているが、その隙のない身のこなしから、相当の使い手だと分かる。
───身の丈は五尺七寸(約一七三センチメートル)くらいか。
六尺の利良には及ばないものの、すらりとした体形でありながら、伊東は大藩の家老のような風格を漂わせている。
「薩摩藩の川路正之進に候」
「新選組の伊東甲子太郎」
二人が軽く会釈を交わすと、仲居が酒と食事を運んできた。
仲居が立ち去るのを確かめた後、伊東の方から利良の盃に酒を注いでくれた。
「屯所を出るのも一苦労でしてね。遅れて申し訳ない」
「いえ、お気になさらず」
利良が伊東の盃に酒を注ぎ返す。
「貴殿が、新たな手筋となるのですな」
───そんなことは聞いていない。
とはいうものの、西郷は肚で語るので、すべてに察しをつけねばならない。
「仰せの通り。当面、手筋をやらせていただきます」
手筋とは交渉窓口のことである。
「貴殿なら腕も立ちそうだ。何せ新選組というところは物騒でね。それで貴殿の流派は───」
「直心影流の免許をいただいております」
薩摩藩士の大半は御留流(藩外への伝承を禁じられた流派)の示現流を習う。ところが利良の場合、近くにあったというだけの理由で、直心影流の道場に入った。
「それなら安心だ。それがしは神道無念流と北辰一刀流を修めているが、新選組の剣士たちは天然理心流という、あまり知られていない剣術を使う。知っておられるか」
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