走狗

西郷先生の御恩に報いるため

長州藩遊撃隊総督・来島又兵衛に続き、長州藩随一の剣客・篠原秀太郎をも討ち取った、薩摩藩士・川路正之進利良は、藩邸へと戻るのであった。



「おやっとさあ」

 勝利に沸き立つ薩軍本営に戻ってくると、巨漢が表口に立ち、帰陣する兵一人ひとりに声を掛けていた。その柔和な瞳と温かみのある声を聞けば、薩摩隼はやとなら誰でも、この人のために死ぬ気になれる。

「正どんではなかか」

「ああ、西せん、いけんしたとですか───」

 西郷は左足を白布でぐるぐる巻きにし、足を引きずっていた。

「大したことはあいもはん」

 よく見ると、白布から血がにじんでいる。

「先生───」

 思わず膝をついた利良は、西郷の足の傷を確かめようとした。

「流れ弾がかすっただけじゃっで。気にせんでくいやい」

 それでも利良は、西郷の傷が気になって仕方がない。

「もう正どんは天下の英傑じゃ。おいの足なんど気遣ってはいかんど」

「天下の英傑───。そいは何のこっですか」

「おはんは、すごか功を挙げもした」

 西郷が笑みを浮かべる。

「すごか功───。おいは、いったいだいを撃ったとですか」

「そいを知らんとですか」

「知りもはん」

「こいは驚きもした」

 西郷がおどけた声を上げたので、周囲が沸いた。

「ゆっかせよう」

 西郷の背後にいた男が「教えてやる」と口を挟んできた。

なかむらはんろうである。

「おはんが撃ったとは、長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛じゃ」

「えっ───」

 来島又兵衛といえば、この乱の実質的指導者かつ実戦部隊の指揮官である。

 利良が二の句を継げないでいると、西郷がうれしそうに言った。

「そいだけじゃなか。長州藩随一とうたわれた剣客もたおしたと聞きもした」

 ───篠原秀太郎と名乗った男のことか。

 利良は言葉もない。

「正どんの活躍で、おいたちは勝ちもした」

「ああ───」

 あまりのうれしさで、その場にくずおれそうになる利良に、中村が冷めた口調で告げる。

ほうは後でやっで、あっちへ行っちょれ」

 ───何だと。

 利良の負けん気が頭をもたげる。

「おいは、褒美をもらうために戦ったとではあいもはん」

 中村の顔が怒りで引きつる。

「そいでは、何のために戦った」

「おいは───」

 そう問われてみれば、何と答えていいか分からない。「この国のため」とか「薩摩藩のため」と言っても、何か空々しい気がする。

 ───西郷先生の喜ぶ顔が見たいから戦ったんだ。

 突き詰めて考えれば、そういうことになる。

「そんくらいも分からん奴に殺された来島どんや剣客も、まこてぐらしか(可哀相)じゃの」

 中村の言葉に、周囲にいた者たちがどっと沸き立つ。

「半次郎、もうよか。正どん、後で飲もな。そん時は、得意のおどいを見せっくいやい」

 西郷はに近いが、薩摩人の基準で言えば、利良もあまり酒をたしなまない。しかし西郷が喜ぶので、利良は酒席となると郷里の太鼓踊りを披露する。

 早くも西郷は、次の者をねぎらっている。まだ礼が言い足りないと思っていた利良が、その場でぐずぐずしていると、中村が手を振り、「あっちへ行け」と指図してきた。

 その場から去り難く、何度も振り返りながら歩いていると、誰かの肩に当たった。

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2016-12-19

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伊東潤デビュー10周年の集大成 警察の父・川路利良大警視(現:警視総監)の生涯を描いた長編時代小説 明治維新――。それは、謀略渦巻く、弱肉強食の時代。 純粋な志を持つ男たちが、権力を握るや、醜い修羅へと変わってしまう。 薩摩藩の下...もっと読む

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jun_ito_info 【期間限定公開】 新刊『走狗』の第3話が本日公開! 西郷隆盛が登場! 「この国のため」「薩摩藩のため」ではなく 「西郷先生(せごせんせ)のため」に 川路利良は戦うのでした。 https://t.co/1V95gMUYcf #走狗 #川路利良 #西郷隆盛 #大久保利通 スタッフ 23日前 replyretweetfavorite