願望憎悪と同族嫌悪
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
「接客業の極意」みたいな本を読んでいると必ず書いてあるのが、「お客さまの良いところを探して、その人のことを好きになろう」というものです。来店するいろんなお客様の中に「あ、この人ってこういう優しさがあるんだ」とか「この人って見栄をはらない正直な人なんだなあ」って感じで良いところを見つけて好きになると、その好意が相手に伝わって向こうもこちらに好意を持ってくれるので、何かとコミュニケーションがうまくいくんだそうです。
なるほど。とてもよくわかるのですが、人間同士ってそこまで綺麗事ではないと言いますか、やっぱり「好きになれない人」っているものですよね。はい。はっきり言いますと、お客さまの中にどうしても「嫌いな人」っているものです。もちろんそう感じるのは接客業のプロとしては失格なのかもしれません。
でもやっぱりそういう「嫌いな人」っているもので、「どうして僕はこの人を嫌いなんだろう」というのをひたすら分析して、できれば「嫌いな気持ち」を可能な限り少なくするか、あるいは「嫌いな気持ち」を出来るだけ客観視することにしています。
さて、どうして僕たちは誰かを嫌いになったりするのでしょうか。というわけで今回は、その理由を考えてみることにします。
昔何かで読んで「なるほど」と思ったのが、「誰かを嫌いと感じることの全てが願望憎悪と同族嫌悪のどちらかだ」ということです。これ、わかりますよね。まず願望憎悪は、「羨ましいなあ。あんな風に成功してお金持ちになりたいなあ」と本当は思っているのだけど、それを認めると今の成功していないお金もない自分がミジメなので、「ふん、あんな成金大嫌いだ。趣味悪い」とかって思うパターンです。
あるいはわかりやすいところでは「リア充なんて大嫌いだ」というものですね。本当は自分もそうなりたいのですが、「嫌い」と表明することで自分を守っているのでしょう。僕もよくやってしまいます。ほんと、羨ましいとそれを認めたくなくて「ああいうのイヤだなあ」って言ってしまいます。
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