表裏一体の上昇志向と反逆クール
では、このようにカウンターカルチャーとメインカルチャーが融合してくると、なにが起きるのでしょうか。
「社会のアウトサイダーであることがクールである」
ということが、社会全体で共有される中心的な概念になるという、なんとも逆説的なことが起きてしまったのです。
これによって、みんなが反逆クールに憧れ、アウトサイダーを目指すようになりました。たとえばファッションでいえば、アウトサイダー的な人々が着ているようなストリート的なファッションに人々が憧れるというようなことが起き、そうして社会の多くの人がストリートファッションを身にまとうようになると、これまでそういう服を着ていたアウトサイダーは、別のファッションに注目するようになる。そしてまたみんながそれを……こういうくりかえしがつねに起きることになります。先ほどのクラインの工場街の住まいの話と同じですね。
これは非常に面白く、不思議な構図です。
「『反消費社会』を消費して『消費社会』がさらに成長していく」
という禅問答のような構図なのです。
消費社会と反逆クールは一見すると対立しているように見えるけれども、実はそうではない。消費社会のエネルギー源こそが反逆クールであり、同時に反逆クールも消費社会のマス層からの憧れをエネルギー源にしている。そういう持ちつ持たれつの関係なのです。つまり反逆クールこそが、消費社会のどまんなかにいる人たちだったといえるのです。
クールになりたいからアウトサイダーに憧れる。それが消費社会に取り込まれて大衆化すると、もうクールじゃないと思われてしまう。また新たなクールなものを探してまわる。このくりかえしというのは、まさに記号消費的であり、大衆消費そのものであるんですよね。
近代の成長の時代に、多くの人たちは、大衆消費社会の中で出世を目指し、金持ちへと成り上がろうと上昇志向を持ちました。「上へ、上へ」です。
そしてまた別の人たちはそういう上昇志向を否定し、アウトサイダーとして消費社会を蔑視する反逆クールの道を選んだ。「外へ、外へ」ということです。ところが気がつけば、「上へ」も「外へ」も、どちらもぐるりとまわって同じ立ち位置になっているということなのです。
つまり上昇志向の持ち主と、反逆クールは、この大衆消費社会を支える表裏一体の存在だったということです。
ていねいな暮らしとは?
話を戻しましょう。ではいまわたしたちが生きている21世紀の社会で、人々は反逆クールのようなエリートになりたがっているのでしょうか?
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