ミシェル・ウェルベックの「愛の新自由主義」批判
大谷ノブ彦(以下、大谷) 「自殺」についてぼくが引っかかっていることはいろいろあって。たとえば三島由紀夫って「死」のイメージで作品が語られすぎてしまってますよね。
平野啓一郎(以下、平野) そうですね。彼の場合、死を起点に人生を再構成されていますよね。
大谷 あと太宰治とかも。彼の作品を読んでいると、ぼくは愉快な人だな、大ボケだななんて思うんだけど、世間を見渡してみると、どうしても心中の印象で語られてるなあという。
平野 死にかたによって、さかのぼってその人の人格が規定されてしまうことには違和感があります。 アマルティア・センという社会学者は『アイデンティティと暴力』という本のなかで、「世界の戦争はアイデンティティをひとつに決めていることから起きる」という話をしています。たがいにアイデンティティを認めあうというのは大事だけれど、そもそも個人のアイデンティティ自体が複数的であるということを認めていく必要がありますよね。
大谷 寛容になっていかないとね。でも平野さんにだって、人の好き嫌いはありますよね。それってある種の自分の中の正義や不正義なのかなとも思うんですが、そういった人に対しても寛容になれますか?
平野 それは結構な核心ですね。
大谷 実は僕、この本のなかではあえて触れなかったんですよ。でも、めっちゃ聞きたかったんです。
平野 それは……「俺はその人が嫌いだけど、その人のことが好きな人は他にもいる」という前提に立つしかないですね。「ぼくとは合わない」と考える。
「愛されない人を愛すべきか」というのは歴史的にも重要なテーマです。ヨーロッパにおける「愛」という概念の歴史をずっと見ていくと、もともとギリシャで生まれていた愛の概念はエロス(性愛)とフィリア(友愛)という2つです。これはどっちにしても、愛するに足る、立派な人や素敵な人を愛すべきだという前提なんですよね。当たり前ですよね。
大谷 すべての人じゃなくって?
平野 そう。愛するっていうのは自然の感情ですからね。でも、社会の中には差別されたりしていて、「愛されにくい人」もいる。それに対してキリストは「敵を愛しなさい」と言った。「愛し得ない人を愛しなさい」という、ある意味「愛」という概念自体に矛盾するようなことを言った。神という概念を挟んで。けど、それはものすごいインパクトを持ったんですね。そのことで救われた人がたくさんいる。それが「アガペー」という愛の概念です。
アガペーについて現代において考えさせられるのは、ミシェル・ウェルベックというフランスの作家です。彼は「愛の新自由主義」をすごく批判しているんですよ。
大谷 というと?
平野 経済の新自由主義によって、世界では経済格差が拡大しているんだけど、現代では愛も新自由主義におちいって、愛される者と愛されない者の格差が広がっているというのが彼の主張なんです。完全に自由に恋愛できるようになった結果、非モテとモテがどんどん広がっていく。
大谷 ああ。
平野 ウェルベックによれば、恋愛の格差というのはもう絶望的なまでに広がっていると。でも経済の格差と違って、愛されない人は自分のせいだということで、誰にもかえりみられないから是正されないというのが彼の考え。 秋葉原の通り魔事件の犯人の述懐などを聞いていても、近いことを感じました。「モテない」ということを、不可解なほどに強調していた。自分の生活に関しては、基本的に、自分が居心地がいいと思う分人を生き、そうさせてくれる人達と関係していくのがいいと思いますが、社会全体を見たときに、結果的に「愛されにくい」人がいるじゃないかというのがウエルベック的な反発ですよね。彼はその実存の絶対的な孤独に陥った際に、伝統的なヨーロッパ文学のようにキリスト教の神と直面するのではなく、最新作では、発想は非常に不謹慎ながら、イスラム教への改宗を描いています。
「幸せになれ」というメッセージは苦しい
平野 不寛容さの話でいうと、ぼくは実は「正しくない」ことに対してもっと寛容なほうがいいと思っていて。そもそも、「正しい」とされているメッセージのプレッシャーって、相当なものですよ。それが自分自身にとっても正義だと思っていることだとしても、正面から受け止めてしまうと苦しいところがある。「べき」論をあまりにも内面化していくと、身体の免疫機能が暴走するみたいに、自分で自分を攻撃するような事態になる
大谷 SNSとかを見ていても、思いますね。他人に正義をあれこれ言う人って、自分の正義でがんじがらめになっていますし。
平野 三島由紀夫なんかもそうで。『仮面の告白』は一応フィクションという体裁になってるけど、かなり実体験に近い本だと僕は思っています。そこで三島由紀夫は、同性愛者であるということに対して激しい葛藤を持ち、血まみれになりながら自分を傷つけている主人公を描いている。社会的なホモフォビアが主人公に内面化されていて、自分を自分で責めるような態度になっている。
「同性愛は許されない」というメッセージはそれこそ「正しくない」ものだけど、誰も否定できないような「正しい」メッセージにすらそういう攻撃性はある。とくに、やはり「幸せになれ」というメッセージは苦しい。否定しきれないからこそ、息苦しい。
大谷 今回の新書でもいちばん伝えたかったことですね。「こうでなきゃいけない」ということをそんなに受け入れなくていいですよと、いうことを伝えたい。その逃げ道を見つけるヒントになればいい。
平野 「そんなにいろいろなことに縛られなくていい」ということ自体は、これまでだって多くの人が発しているメッセージですけど、それだけじゃ足りないんだなと最近思います。「じゃあどうやって生きたらいいの?」ということまで、ものを書いている人間は考えないといけない時代だなと。
実際、自分も「じゃあどうやって生きたらいいの?」って思っていたし。80〜90年代のように景気のいいときは今よりも「自由な生き方」が肯定されていて、たとえばフリーターとかが肯定的にとらえられていたんですよね。「将来のこと考えるな」「今を生きろ」って。
大谷 あ〜、ありましたね。
平野 それで討論番組とかで大学の先生なんかがフリーターを礼賛する主張を展開していたりするのを見ると、僕は無性に腹が立ってましたね。「じゃあ、お前も大学やめろよ」と。自分が安定した仕事をしながらよくそういうことが言えるなと思ってた。
大谷 平野少年、さすがだなあ。
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