あのこは貴族

苦労してないって、人としてダメですよね

【第38回】
東京生まれの箱入り娘・華子は、20代後半で婚活にのめりこんだ挙句、お見合いで出会ったハンサムな弁護士・青木幸一郎との結婚にこぎつけた。
しかし幸一郎に他の恋人(美紀)がいることを、華子の友人・逸子が知り、女たちは思いがけず巡り合う――。 アラサー女子の葛藤と解放を描く長編小説。単行本『あのこは貴族』、好評発売中!

「まあとにかく、あたしからすれば東京が地元なんて、羨ましい限りだけどね。東京に出てくる若者って、必ず大変な目に遭うもん。あたしなんて親の援助もなかったから、お金もなくてかなり悲惨な感じで。どうにか社会でやっていけるようになるまで、かなり時間かかった。だから最初から東京にいて、そういう苦労をしなくて済むなんて、めちゃくちゃ羨ましいよ」

 美紀がさっぱりした口調で笑いながら言うのとは対照的に、華子の胸にその言葉はじくじくとわだかまった。

「苦労してないって、人としてダメですよね」

「え? ……そんなことないでしょ」

 遠慮がちに美紀は言った。

「いえ、ダメですよ。ダメなんですよ。わたしは、苦労してない自分のこと、ダメだなぁって思います。ぬるいなぁーって。ぬるま湯で生きてるなぁって。大した苦労もしないで生きてきたから、結婚にも失敗してる」

「ちょっとちょっと、飛躍しすぎ! それに結婚に失敗したっていうのは、離婚した人の言うセリフだし」

 美紀はおおらかな笑顔で笑い飛ばした。

「東京のいいおうちに生まれて、なんでも持ってる華子さんみたいなお嬢さま、最強じゃない」

 すると華子はぶんぶんと頭を振って、意外なことを言いはじめたのだった。

「それがわたしにとっては、いちばんのコンプレックスなんです。たまたま恵まれた家に生まれただけで、ベルトコンベアー式にぬくぬく生きてきて、苦労も挫折もなくて、だから人生に、なんにも語るべきことがない。学歴も職歴も、全部親がしてくれたことで、自分はなにもしてない。だから釣り書の見栄えはよくても、実際はスカスカなんです。自分の力でなにかを得たこともない、成し遂げたこともない。それに臆病だからテリトリーの外に出ようともしない。人生を切り拓く力もない。取り柄もないし、仕事も好きじゃないし、好きじゃない仕事を続ける根性もない。本当になんにもないんです。だから男の人にもすぐに愛想を尽かされてきました。たぶんわたしが、人としてつまらないから。わかってるんです。だからこそこんな自分は、結婚するしかないだろうって思いました。自分の力で生きていけない平凡な女は、結婚するしか道はないんです。だから、すごく焦ってたんです。誰かが用意してくれる人生にうまいこと乗っからないと、自分の人生を、自分の力で先に進めることができないって、知ってたから。……わたし、幸一郎さんと出会うまで、ちょっとの間、婚活みたいなことをしてたんです。婚活は、辛かったり大変だったりしたけど、同時にはじめて自分の意志で生きてるって感じもしました。はじめて困難にぶつかってる手応えがあって。もちろんその最中は婚活なんて嫌だったけど、あとになって思い出してみれば、いっぱいいろんなことを考えた時間でした。不安でたまらなかったり、それに耐えたりして、ちょっとは自分を褒めたくなるような、そういう時間でした。それまでの自分からは考えられないくらい、主体的に動いて。でも幸一郎さんと出会った瞬間に、そんなの全部なかったことになったんです。ちょっと惨めな思いを味わっただけで、なにも残らなかった。幸一郎さんは、またベルトコンベアー式に結婚話を進めてくれました。両親から幸一郎さんにパスされただけで、相変わらずわたしは、用意されたものに乗っかるだけの人生なんです。そりゃあ自分が望んでいたことではあります。矛盾してるけど、そうするしかない自分には、失望もしてるんです。幸一郎さんも、思ってるはずです。本当は、美紀さんと結婚したかったし、その方が幸せになれたんだろうって。わたしと結婚したのは、体面を保つためで、本気じゃなかったって」

 華子が一気呵成に喋りおえたタイミングで、アイスやチョコでたっぷりトッピングされたパンケーキが二皿、運ばれてきた。美紀は「まあまあ」と気まずそうに、

「ひとまずコレ、食べましょうか」

 華子にフォークを渡した。

 もぐもぐと口を動かす美紀に、華子はなおも続けた。

「だから、あの、本当にごめんなさい」

「ごめんって、なに? なにに対して?」

「全部です。幸一郎さんのこと。わたしが出てきて、なんか、三角関係みたいになってしまって。横取りしたみたいな、形なわけじゃないですか」

「もういいって、それは。何度も言うけど、どう考えても悪いのは幸一郎でしょ、この場合。謝るべきは幸一郎だから。あたしにじゃなくて、幸一郎が、華子さんに謝ることだから。そうでしょ? それに、いつまでも都合のいい女やってたあたしも悪い。幸一郎だけが悪いんじゃなくて、あたしもなの。呼び出せば来てくれるかもしれない男の人がいるっていう関係に、ずっと甘えてたんだよ。彼氏彼女みたいな面倒がないっていう、気楽なうっすーい関係のままで、放置してたの。それで、ずっとさびしさとかをごまかしてたの。でも、これってどうなんだろうって考えることもあった。だからその時点でケリをつけるべきだったんだよ。いい年してぐずぐずしてたこと、恥ずかしいもん。自分自身に対して、よくなかった」

 それでも華子は、「でも、謝らせてください」と頭を下げた。

「ごめんなさい……」

 美紀は「いいから」となだめながら、こうも言った。

「えらいね、あなた。ちゃんと謝るとか。あたし昔、まだ若かったときに、三角関係でそっちの立場になったことあって、ひどいこともしたんだけど、でも、うまく謝れなかったよ。なんか怖くて」

「相手が、美紀さんだったからですよ。今日も来てもらえて、本当にありがとうございました」

「……で、前置きがすごく長くなっちゃったんだけど、相談って? なんだったの?」

 こうしてようやく、本題の悩みが打ち明けられた。

「幸一郎さん、弁護士事務所を辞めて、議員の伯父さんの秘書になるんだそうです。それを、わたしになんの相談もなく決めてしまって……」

「やっぱりそうなんだ」
 美紀はまるで知っていたかのように言うので、
「えっ!?」と華子は驚くが、
「だってあの結婚式、モロそんな感じだったから。後継者のお披露目が目的だったのかなぁって。でも幸一郎も可哀想だよね。きっと後援会に担がれて、断りたくても断れない立場なんでしょ」

「美紀さん、詳しいんですね」

「うん。銀座のクラブで働いてたことあるから、その手の話にはね。うちの地元なんかも、一帯で応援してる政治家がいたりするし。その先生が引退したあと、誰に継いでもらうかでもめてるなんて話も、聞いたことある。ずっと秘書やってた人が自分が後継者になりたいって名乗りでたんだけど、ほら、田舎のじーさんばーさんは血縁が大好きだから。結局、東京にいる先生の息子が、サラリーマン辞めて立候補してた。そんで、見事当選!」

「え、経験ゼロなのにですか?」

「そう。田舎の人って、経験とか実績とか政策とかまるっきり無視して、個人的に知ってるかどうかとか、情とか習慣で投票するから。だから愛想振りまきさえすれば、投票用紙を前にしたら、従順におなじみの苗字を書いてくれちゃうのよ」

「へぇー」

「だから将来、国会議員にならなきゃいけない家に生まれた男の子には、思いっきりわかりやすい名前つけるんだって。太郎とか一郎とか。そうすればどんな学のない人にもすぐ憶えてもらえるし、刷り込みで投票用紙に書いてもらえるから」

「そういえば幸一郎って名前も……」

「ちょっとその気はあったのかもね。たしか、伯父さんのとこには男の子いないんじゃなかった?」

「ですね」

「じゃあドンピシャだ。もしかしたら幸一郎、弁護士になったのも、それがわかっててだったのかもね。潰しが効くでしょ、弁護士なら。政治家になるまでのつなぎに」

「でもそれを、わたしになんの相談もなく決めちゃうのって、どうなんでしょう」

「たしかに酷いけど、幸一郎はそういう奴だよ。もっと心を開いて、ちゃんとした会話をしてほしいなら、自分からどんどんぶつかって無理矢理こじ開けて、ちょっとずつ関係築いていかないと、一生あのまんまだと思う。あたしは、なんとなくノリを合わせてただけで、本当に踏み込んだ関係ではなかったから、そういう意味での気楽さが、逆にあったのかもね。でも、華子さんはそうじゃないじゃない。奥さんなんだし、一生ずっと、関係は続くんだから、もやもやしてるんなら、ちゃんと言った方がいいよ。自分はこうしたいんだって主張できるようにならないと。旦那さんじゃないほかの誰かに愚痴言ってすっきりしても、なんの解決にもならないもん。難しいことだとは思うけどね。あたしも男の人にちゃんと自己主張できるようになったの、けっこう年食ってからだったし」

「そうなんですか? 意外……」

「意外って!」美紀は笑って流す。「でもそうだよ。男の人と彼氏彼女の関係になって、何人目までかは、わりと言いなりだった。なに話していいかもわからなかったし。でもね、つき合ってるうちに、これは許せないってことをされて、怒って、ケンカして、仲直りして、っていうことを繰り返していって、少しずつ男の人に、自分を出せるようになっていった」

「わたしは、許せないことをされても、ちゃんと怒ることができないです。そういう感情を出していいところなのかもわからなくて」

「怒りは、大事だよ。あと、男によっては、対等な口を利いてくるような女とはつき合わないって人もいるんじゃない? まああたしは、そういう人は絶対ゴメンだけど」

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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コメント

u_ni_ko 最近気になって読んでるweb小説なのだけど、今回の華子の台詞がまんま大学卒業時の自分すぎてつらい。。 1年以上前 replyretweetfavorite

nerimarina このへんから華子すき 1年以上前 replyretweetfavorite

r_mikasayama 華子に対しては「オイオイ…」と思うことが多かったけれど、このくだりであっ、と思った。私も自分とはまるで違う境遇の華子を、どこか別の生き物として見ちゃってたのかな…と。 → 1年以上前 replyretweetfavorite