ゴボウを1本抜くのに1時間!?
10月も半ばのある日。
私たちが畑に着くと、不思議な光景が目に入った。
向かいの区画のミスターBが、何やら野菜の葉に頭をつっこんでいたのだ。
ミスターBは、以前私にレタスの苗をくれた、イギリス人のおじさんである。
「どうかしたんですか?」夫が、脇で見ていたお隣のN村さんにたずねた。
「さっきからゴボウを収穫しようとしているんだけどね。ぜんぜん抜けないんだよ」
ミスターBは、ゴボウの根元の土をかき出すために、葉に頭をつっこんだ状態になっていたようだ。
そもそも、イギリス人がゴボウを育てていること自体不思議なんだが、それはこの際おいておこう。
「“ゴボウ抜き”っていうくらいだし、すぽっと簡単に抜けるもんじゃないの?」
私が聞くと、N村さんは首を振った。
「ぼくのゴボウも大変だったんだ。育ちすぎて根が枝分かれしちゃったせいで、竪穴を掘っていくと“又根(またね)”にぶつかってさ。今度はそこから横穴を掘ってさ。
又根なんか切り捨ててもよかったんだけど、やっぱり無傷で出したいじゃない? 全部掘り出すまで1時間以上かかったんだよ。
1mもある“滝野川ゴボウ”を作ったときは、もっと大変でさ。まずゴボウの横に深い穴を掘って、そこに腰までつかってさ……」
N村さんの武勇伝『ゴボウと私』は、いつか自費出版してもらうとして、要するに
“ゴボウ抜き”という言葉は、ゴボウを抜いたことのない人間がイメージで作ったのではないか? というのである。
「もうムリっ!」
ミスターBは、ついに音を上げた。
頭を下にしていたせいで、顔が真っ赤だ。うるんだ瞳で夫を見つめる。
「ぼくはもうおじさんだから、この作業はつらいよ。手伝ってくれ」
ゴボウ農家は、簡単に抜く方法を知っているのでしょうが、まだ見る機会に恵まれていません。
ゴメンね、大騒ぎしちゃって
夫もおじさんだが、ミスターBよりは若い。さっそく茎をひとまとめにして、引っ張った。
「うっ……!」
しかしゴボウはびくともしない。
「ほんとにダメだ。ぜんぜん抜けない」
ぎっくり腰にならなくて、よかったです。
夫は、ミスターBが掘った根元をさらに掘り進めた。夫が土をかき出し、ミスターBが茎を持って引き抜こうという作戦だ。
「がんばれ、おじさん。抜け抜けゴボウ!」
私は日英同盟に声援を送った。いったいどんな魔物がひそんでいるのだろう。
「もっと掘れ、もっと!」とミスターB。
「頭が出た!」と夫。
「いいぞ、そのまま抜け!」
「ううううっ!」
「まだダメか……」
「どうなってんだ、このヤロウ」「こんちくしょう」。悪い英語も連発です。
二人は30分もゴボウと闘い続けている。見ているこっちは、もうとっくに飽きた。いつまでやるつもりだ。
「食べられればいいんだから、そのへんで折っちゃいなよ」
そう言いかけたとき
「出たっ!」
ついにゴボウが産声を上げたのだ。
それは驚くほど巨大……じゃなくて、小さなゴボウだった。店で売っているサイズの3分の1しかない。
「ゴメンね、大騒ぎしちゃって」と、ゴボウも恥ずかしそうです。
(あれだけ時間かけて、成果がこれだけ?)
私はふき出しそうになったが、必死にこらえた。
だってそこには、汗だくのおじさんが二人、満面の笑みでお互いをたたえ合っていたんだもの。
「よくやったな。きみはグレイトだよ」
「あなたもですよ、ミスターB」
まったくわからん。いったいどのへんがグレイトなんですか?
そのキャップ、ねらったの?
「ナガイモ掘りはもっと大変だよ」
そういうN村さんに誘われて、ある冬の日、私たち夫婦は長靴持参で、N村さんのもう一つの畑を訪れたことがある。
当時N村さんは、自宅近くにも小さな畑を借りていて、そこでナガイモを育てていたのだ。
畑には、N村さんが掘ったという大きな穴があいていた。中に入ってしゃがむと、外からは見えなくなるほどの深さだ。
N村さんはその穴へおりると、「じゃあ説明するね」と、いきなり講義を始めた。
ナガイモ掘りには、注意事項があるという。
「地上近くにイモの先っぽを見つけたら、地下へ向かって、イモの両脇の土を少しずつスコップで削り落とすんだよ。
イモが見えたら、手を使ってね。スコップがちょっとかすっただけでも、イモが傷ついちゃうからね」
「わかりました。やってみます」
夫はうなずくと、N村さんと入れ替わりで穴に入り、膝を折った。
「あんた、まるで狙撃兵だよ」
塹壕から頭だけ出した夫を見て、私は爆笑した。
「そのキャップ、ねらったわけ?」
「何が?」
キョトンとしている夫の帽子には、「SNIPER」のロゴが光っていた。
塹壕にひそむスナイパー。こんな帽子、どこで買ったんでしょうね。
無傷で出す意味
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