あのこは貴族

他人は都合よく変わったりしない。結婚で絶望しない心の準備とは?

【第35回】
東京生まれの箱入り娘・華子は、20代後半で婚活にのめりこんだ挙句、お見合いで出会ったハンサムな弁護士・青木幸一郎との結婚にこぎつけた。 しかし幸一郎に他の恋人(美紀)がいることを、華子の友人・逸子が知って、女たちは思いがけず巡り合う――。 アラサー女子の葛藤と解放を描く長編小説。単行本『あのこは貴族』、好評発売中!

 東京の真ん中で生まれたからといって、それが幸せなことなのかというと、華子にはよくわからない。自分の生まれ育ちの特異さを、そうでないほかの誰かと比べて測れるものさしを、華子は一度も持ったことがなかったから。ただ、小さなころから思い描いていたのとは違って、結婚式が幸せのピークというのはまやかしであることに、華子はたったいま、まさに気づいている。盛大な式の主役というのは、気持ちがひどく空虚だ。口角をキュッと持ち上げながら、楚々とうつむく華子の頭の中では、マンダリンオリエンタルで美紀と話した日のことが蘇っていた。

「幸一郎さんって、どんな人ですか?」

 華子の不安が口からぽろりとこぼれ落ちると、美紀は驚いたように「……え?」と聞き直し、相楽さんもまた「はい?」と思わず耳に手を当てた。

「ちょっと華子、それどういう質問よ」

 相楽さんは豪快に笑ってみせるが、華子は真剣な顔で、
「どんな人か、教えてほしいんです」と懇願する。

 美紀はぽりぽりと頭を搔き、少しばかり間を置いてから口を開いた。

「教えるもなにも、あたしの前での幸一郎と、榛原さんの前での幸一郎は、たぶん全然違う人だと思うよ。それって、別に嫌な意味じゃなくて、みんな無意識でそうなんだけど。相手によって、自分って少し変わるじゃない? だから、あたしの知ってる幸一郎は、あんまり参考にはならないと思う。けど……」

「けど?」

 華子は言葉の続きを催促した。

「幸一郎って、誰にも嫌われないような、人当たりのいいお坊ちゃんなんだけど、でも本質的には、すごく情の薄い、ちょっと冷たい人かな。あたしはそう感じてる」

 華子はそれを聞き、思い当たるところがあったように、こくんと一つ、大きくうなずいた。

「最初に会ったときから、幸一郎さんはとにかく感じがよくて、優しくて、いい人なんです。けど忙しくて会う時間も限られてるし、なかなか落ち着いて話もできてなくて。それに会話してても、あんまり本心を見せてくれる感じがないっていうか、手応えがなくて。だから、わたしのことを好きなのかどうかも、実はよくわからないんです」

「それでずっと不安そうだったわけだ」と相楽さんが言った。

「でもそれって幸一郎に限ったことじゃなくて、そういう男は多いと思うよ? 男の人って、あんまり自分の気持ちをペラペラ話さないし」と美紀。

「だからあたし日本人の男とつき合うの嫌なんだよね〜。つき合うまではすごくがんばるくせに、つき合っちゃうとケアもしてくれなくなる」

「まあ広義の、釣った魚に餌やらない問題かもね」

 美紀が笑いながら合いの手を入れた。

 男の人は、つき合っちゃうとケアもしてくれなくなる。そのケアという言葉に華子は、胸を衝かれる思いでいた。それは華子が過去すべての恋人から、欲しているのに与えられなかったものだ。長いこと抱え込んでいた不満にピタリとくる言葉が嵌めこまれたことで、華子は長年のわだかまりにすとんと得心がいくと同時に、視界がクリアに拓けた気がした。自分が求めていたのは、まさにそれなのだ。華子は大事に育てられたがゆえ、自分が大事にされないことに、人一倍ダメージを食らってしまう。そして生まれながらに愛情を享受できたがゆえ、それを自分から乞うだなんて、考えただけで惨めになってしまう。結婚を控えた華子の不安はいや増した。

「ねぇ相楽さん、日本人の男の人より外国人の方が、ケアしてくれるものなの?」と華子がたずねる。

「あたしの経験ではね」相楽さんが言った。

「あたしは外国人とつき合ったことないけど、でもそれって外国人の女の人が、相手にどうして欲しいのか、しっかり要求できてるからなんじゃない?」と美紀。

「たしかに。男の人が率先してケアしてるわけじゃなくて、要求に応えてるってだけかも。海外にいる日本人同士でよく話すんだけど、外国人には日本人女性がすごく人気があってモテるって言うじゃない? でもそれって実は、日本人女性は欧米の女みたいに、自分からどんどん主張とか要求とかしてこなくて、文句も言わず耐え忍んで、面倒な家事やったり、夫にひたすら尽くすのを美徳にしてるっていう、要は男にとって都合がいい人種だっていうイメージがあるから、一定の需要があるだけって聞いたことあるわ」

「げ! それなんかショック……」美紀は嘆いた。

「まあ、とにかく、青木幸一郎だけの話ではないってことだよ、華子!」

 だから安心して! とでも言うように相楽さんは華子の肩をトンと叩いたが、華子は輪をかけてナーバスになった。

「ただ、とりわけ幸一郎って、見た目もよくて弁護士で、家も金持ちっていうスーパー優良物件であることに本人がすごく自覚的だから、自分みたいな男をわざわざ女の方から切ってくるようなことはないだろうって、舐めきってるところはたしかにあるかもね」と美紀。

「舐めきってる……」

 華子はかすかに戦慄する思いである。なぜならこれまで、自分は主張らしい主張をなに一つしたことがないのだから、足元を見られて当然ではないか。そんなことを思いながら、華子はこれまで半年間、ずっと隠してきた気持ちを彼女たちの前で吐き出したのだった。

「わたし、ずっと結婚のことしか考えてなくて、だから幸一郎さんの気が変わって、結婚できなくなるのが怖いから、興信所に調べられたのがすごく嫌で、引っかかってることすら言えなくて……」

「ちょ、ちょっと待って、興信所ってなに!?」

 相楽さんが怪訝な顔でたずねた。

「わたしのこと、向こうのご家族が興信所に頼んでいろいろ調べてたみたいなの。こちらからご挨拶に行く前に。でも幸一郎さんは、別に普通のことって感じだった」

「興信所……やりそー」美紀はいたたまれない表情でつぶやいた。

「それ、たしかに嫌だよ」相楽さんも、目を剝いて怯えている。

 華子は続けた。

「わたし、男の人とつき合って、あんまりうまくいったためしがないんです。最初はその、可愛がってもらえるし、優しくしてもらえるけど、すぐに飽きられちゃうというか。だから幸一郎さんがあんまりその、ケアしてくれなくても、それってわたしのせいなのかなぁーってうじうじ悩んでたんです。でも正直、結婚できるなら、別にそれでもいいかと思ったりもしてて。波風立てずに、結婚式までやり過ごせれば、もうなんでもいいっていうか」

 華子は批判されるのを覚悟して、心の内を正直に語った。そしてもちろん批判は、矢のように降ってきた。

「ていうかその、可愛がってもらえるっていう考えがそもそもダメなんじゃない? 不憫すぎるよ。ペットじゃないんだから、もっと対等な関係築こうよ」と相楽さん。

「あたしもそう思う」と美紀。「それに、結婚すればなんでもセーフっていうわけじゃないんじゃない? あたしもまだしたことないから偉そうなこと言えないけど、でも、まだ結婚してなくて彼氏からの関心が薄かったり、言いたいことがなかなか言えない関係なのと、結婚してるのに夫から関心持たれなくて、言いたいことが全然言えない関係なのは、どっちかっていうと結婚してる方が、余計に辛いものなんじゃないかな」

「地獄だよ」

 相楽さんがバッサリ言い切った。

「じゃあ……その……やっぱり結婚は、取りやめにした方がいいのかなぁ。なんかもう、自信なくて……」

 華子はへなへなと声を震わせた。

「いやいやいや、そうじゃなくて!」

 悲劇のヒロインモードに、待ったをかけたのは美紀だった。

「なにも、榛原さんをマリッジブルーにさせようと思って言ってるわけじゃないの。百%安心した状態で結婚する人なんていないよ。でも、いまの榛原さん、ちょっと不安定すぎて見てらんない。幸一郎と結婚するのは、いいと思うよ。少なくとも、ちゃんと釣り合ってると思うし。くやしいけど、あたしが付け入る隙なんてないくらい似合ってる。全然、無理な結婚じゃないよ。でも、幸一郎って絶対に変わらないとも思う。プライド高くて傲慢だし。それに経済観念どうなってるのか謎だから、結婚する相手として不安なのは、すごくわかる」

 経済観念という言葉に、華子は反射的に反応した。

「一緒に食事行っても、お金払ってるところ見たことなくて……」

 華子が付け加えると、
「は? なにそれ」相楽さんが突っ込んだ。

「ああ、あれでしょ? 麻布の中華でしょ? 昔から家族で行ってるとこだから、幸一郎の顔見たら勝手にツケに会計回しといてくれるんだよ」と美紀。

「ひえぇーお坊ちゃんってすごいね」

 相楽さんはあからさまに引いているが、美紀に、
「でもあなたも家族カードとか持ってそうじゃない」
 と指摘され、テヘッと舌を出しておどけている。

「幸一郎ってさ、なんでも〝昔から家族で行ってる店〟なんだよね。食事も、着るものも、床屋も、身の回りのことが全部、子供のころからの馴染みの、守られた世界で完結してるの。もちろん人間関係も。慶應つながりの仲間と延々つるんで、新しい友達は作らない。だからなんか、世界狭いんだよね」

 美紀の的確な指摘に、うなずくしかない華子である。

 その熱心な相槌で調子づいたのか、美紀はさらに吐き捨てるように、
「あとさぁ、ファッションセンスもちょっとアレだよね。スーツはまだいいけど、私服の趣味おかしくない? とくに夏とか、軽薄なパステルカラーのポロシャツ着て、バミューダパンツ穿いて脛出してるの。あの格好なに?」

「小金持ってる三十代の男ってみんなそうだよ」

 相楽さんまで、もはやただの悪口を並べる始末。それから少しまじめな顔で、美紀はこんなふうにも語った。

「まあファッションセンスは置いとくとしても、あのまま挫折知らずで年取って、どんどん偉くなっていくと思うと、ちょっと怖い。傲慢で金持ってて地位も名誉もあるおじさんって、すんごいタチ悪いじゃない。人の意見なんて全然耳に入らなくて、自分の思う通りに人を動かせると思ってて。自分と自分の周りのお友達だけが世界の中心で、それ以外の人のことなんて、本気で視界にも入ってないの。とくにそういう人は女子供のことには、あんまり意識は向かないから。ケアが足りないくらいで不安定になるようじゃ、自分が無駄に傷つくことになっちゃうよ。だから榛原さんは、そういう人と結婚しようとしてるんだっていうこと、ちゃんと知っておいた方がいいと思う」

「……はい」

「幸一郎は、きっと変わらないよ。幸一郎に限らず、他人は都合よく変わったりしない。でも榛原さんは、自分を自分の意志で、変えることができる。幸一郎と夫婦になったときに、絶望しないように、どうすればいいか、心の準備をすることはできるでしょ?」

 華子はこくんとうなずいて、すがるように美紀を見つめた。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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4AYANO12 あのこは貴族|山内マリコ|cakes(ケイクス) とくに夏とか、軽薄なパステルカラーのポロシャツ着て、バミューダパンツ穿いて脛出してるの。あの格好なに?」 「小金持ってる三十代の男ってみんなそうだよ」 https://t.co/0ae4BzaOXO 2年以上前 replyretweetfavorite

dbfb_mio アッパークラスのミドルエイジ男子のファッションセンスはちょっとアレ笑  2年以上前 replyretweetfavorite

ryuzo_takahashi 都心も下町も地方も、保守的な人はいっしょ。住んでる場所では無い。 確かに、東京在住の保守的な人は田舎者だよな。 2年以上前 replyretweetfavorite