あのこは貴族

ぐずぐずした男女関係を清算する方法

【第33回】
東京生まれの箱入り娘・華子は、20代後半で婚活にのめりこんだ挙句、
お見合いで出会ったハンサムな弁護士・青木幸一郎との婚約にこぎつけた。
しかし幸一郎に他の恋人(美紀)がいることを、華子の友人・逸子が知って女三人が巡り合う――。
アラサー女子の葛藤と解放を描く長編小説。(単行本『あのこは貴族』、好評発売中!)

 マンダリンオリエンタルのラウンジは席がすべて埋まって、テーブルについた人々は競い合うように声をあげ、それぞれの会話に熱中している。窓の外はすっかり日が暮れ、景色は刻々と姿を変えていた。いつの間にやら陰影のある、壮大な夕景が広がっている。美紀はもう一杯コーヒーを注文した。相楽さんはハーブティーに切り替える。

 ティーカップをソーサーごと持ち上げ、音もなく紅茶を啜る華子の姿を、美紀はちらりと盗み見ながら思った。自分が東京に出てきてこの十数年、ゼロから築き上げてきた、いまの自分を形作るものすべて、そしてまだ手に入れていないものすべてを、この子は生まれつき用意されていたんだなぁと。そういう子もいるんだ。そういう世界もあるんだ。そして青木幸一郎は、自分と同じ世界、サークル、階層に属する華子のような人と結婚することを端から決めていて、だから美紀のような女が、どれほど後天的に魅力を備えようと、いい女ぶろうと、本命には、決して選ばれないのだ、土俵にすら上げてももらえないのだ。そのことを、嫌というほど思い知らされていたのだった。

 ここでもし美紀が、相楽さんが言うところの〝男が絡むとまったく話が通じなくなるようなタイプの女〟だったら、歯嚙みしながら華子のことをただただ羨み、恨んで、嫉妬に狂い、自分を見失って、自己憐憫に駆られていたであろう。

 しかし美紀は、賢い女である。女が身を滅ぼす物語の典型には、嵌まりたくないと思っている女である。ダークサイドに囚われてしまいそうな感情を飼い慣らし、コントロールして、身を引くことができる女である。だからこそこの奇妙なお茶会に同席しつつ頭の片隅では、これをきっかけに幸一郎とのぐずぐずした関係を清算するのもいいかもしれないと、冷静に考えていたのだった。

 なんの生産性もない、どこにもゴールを見出せない、男と女の関係。心地よく馴れ合ってはいるものの、それは間違いなく美紀を搾取し、損なっていくものであることに、彼女はとっくに気づいている。何年も前から、終わりにさせなければいけないと思ってもいる。それなのに、幸一郎から連絡が来れば喜び勇んで駆けつけてしまう自分がいた。

 なにより、美紀は華子のことをちらちら見つめながら、自分が幸一郎とここまで長く続いた理由、彼との関係にこだわってきた理由を、ついに発見した気がした。

 もしかしたら自分は、幸一郎とつき合うことで、華子のような人生を追体験しようとしていたのかもしれないと、美紀は思う。東京の真ん中の、裕福な家庭に生まれ、守られて守られて大事に育てられたお嬢さま。十八歳の美紀が、日吉キャンパスの中庭で見たあのまばゆい内部生たちのような存在に、自分もなってみたかったのだ。その思い、そのこだわりが、いつまでたっても報いられることがないとわかりきっていながら、幸一郎との関係を切れなかった理由に違いない。自分は、幸一郎のステイタスに惹かれていたのだ。でも、もういい加減、大学時代のコンプレックスから自分を解放してもいいころだろう。

 このチャンスに便乗して、思い切って幸一郎との関係を断ち切るのは、誰のためにでもなく自分自身のために素晴らしい決断になるだろうと、決心を固めはじめていた。

「榛原さんは」

 華子は顔を上げ、美紀の目を見据えた。

 なにか意地悪なことを言われたらどうしよう。目の奥に自分への非難が滾っていたらどうしよう。華子はビクつきながら、美紀がどう出るかを待った。

「榛原さんは、幸一郎と婚約してるんだよね?」

「あ、はい。……すみません」

「すみませんって!」

 相楽さんが場をなごませようと吹き出す。

 美紀も笑顔を見せてこう言った。

「おめでとう」

 それが本心なのか華子にはわからないが、ともかく彼女はそう言って、華子と幸一郎の結婚を祝したのであった。

 それから美紀は潔く幸一郎と縁を切ることを二人の前で宣言したのだった。自分にとって幸一郎はただの男友達であるとか、そういう見えすいた言い訳は一切口にせず、華子の耳に入れる必要のないことはなにも言わずに、淡々とバッグからスマホを取り出して、LINEのアカウントを削除しはじめた。

「いきなり? ほんとにいいんですか? そこは一回会って話し合って、コンセンサスとってからでも遅くないんじゃ」

 相楽さんに止められて、美紀はこう切り返す。

「だってあんなカッコいい話を聞いたあとで、ウジウジしたことできなくない?」

 美紀は相楽さんに、共犯者めいた笑顔を向けた。

「……カッコいい話?」
 華子が首を傾げる。

「さっきね、彼女が聞かせてくれたの。『心中天網島』」と美紀。

 相楽さんは、きょとんとしている華子に目配せして言った。

「あとで教えるよ」

                *

 八月半ばの日曜日、青木幸一郎と榛原華子の挙式披露宴は、ホテルオークラ東京本館一階、平安の間で執り行われた。

 経済界では名の通った倉庫会社の経営者一族であり、自身は企業法務を専門とする弁護士の青木幸一郎と、松濤で整形外科医院を代々営む家に生まれ、名門私立女子校を卒業した榛原華子の組み合わせは、傍目には呆れるほどありがちで、いかにもで、凡庸とさえ映るものだった。どちらの家柄も申し分なく当人の経歴も理想的で、見た目も具合よく釣り合ってまさに絵に描いたよう。片方が天涯孤独の身であるとか、貧しい家庭に育ったといったドラマ的要素は皆無であり、ただただ同じ階層同士の結びつきが一層強化されていくだけの、何世代にもわたってこの世界で繰り返されてきたごくありふれた結婚として人々に歓迎された。

 大仰なライトアップとクラシック中心のBGM、以前はキー局にいた男性フリーアナウンサーのけれん味たっぷりな司会も相まって、式はこの上なく仰々しく進行していった。なにしろ青木家側は衆議院議員の伯父の関係者が勢揃いしており、主賓は大臣クラスの政治家だ。彼はスピーチに立つと、軽いジョークを交えつつも最後は、「幸一郎くんのような立派な男にこそ、この国を任せられるというものではありませんか。華子さん、どうかしっかりした家庭を築いて、幸一郎くんを支え、ひいてはこの日本も、ますます発展するよう」云々と、お堅いことを言って乾杯の音頭をとっていた。新郎側の主賓に格を合わせる形で榛原家は、宗郎の大学時代のツテである歌舞伎役者を招いている。政治家も歌舞伎役者も挨拶が済むといつの間にか姿を消していたが、スピーチはいずれもプロとしか言い様のない巧さで、新郎新婦とまったく面識がないにもかかわらず見事に場を盛り上げ、客を温め、颯爽と役目を果たしていったのだった。

 煌々とライトに照らされた高砂の新郎新婦。招待客は三百人ほどで約三十卓が配置され、真正面の一帯は主賓が占めて、新婦友人の席はメインテーブルからはるか遠い。席には双眼鏡まで用意されていた。面白半分に双眼鏡を覗いていた相楽さんは、ウェディングドレス姿の華子を見ながら、

「華子、顔がめちゃくちゃこわばってるな……」
 心配そうにつぶやいた。

 さらに親族席に双眼鏡を向けると、
「青木玲子さん発見! すごいきれー」と声を弾ませる。
 現在はオーストラリア在住の、青木幸一郎の姉である。

 相楽さんは古典柄がちりばめられた京友禅の振り袖姿で、黒髪を色っぽくまとめている。

 そしてその隣には、時岡美紀が座っていた。

 幸一郎とはきっぱり別れると宣言し、華子と相楽さんの目の前で彼のLINEアカウントを削除してみせた美紀だったが、一方的に縁を切られた幸一郎は、逆に美紀への執着を見せるようになってしまう。美紀の潔さが裏目に出た形だった。

 携帯に電話をかけてきては理由を説明しろと迫り、着信拒否すると今度はフェイスブックのメッセンジャーに怒気のこもった文章を送りつけてくる。幸一郎は「とにかく会って話そう」と懇願した。これまでの、涼しい顔をして高みに立ち、余裕しか見せない幸一郎からすると、別人のようなみっともなさだった。そのあまりのがっつきぶりに美紀は驚き、同時に大いに辟易した。しかしおかげで、かすかにくすぶっていた未練がすっぱり断ち切られて清々しているし、形勢が逆転したようで気分も悪くはないのだが、ただし後味はすこぶる悪い。かと言って幸一郎に、華子と会ったことを話せるわけでもなく、説明したところで余計に揉めるだけだろう。美紀は息を潜め、この状況をやり過ごすことに決めた。

 東京に遊びに来た平田さんにそんな近況を話すと、
「ミキティなにやってんの!」
 と雑に笑い飛ばしてくれて、なんだかほっとした。

「男の人ってすごいね。なんか所有欲の塊って感じ。でもまあ、持ってるものが急になくなっちゃうのは、やっぱりショックなんじゃない? なにがあったか知らないわけだし」

「前はさぁ、あたしなんていてもいなくてもいいみたいな感じだったのに」と美紀。

「だったら最初からちゃんとつき合うとか、大事にすればいいのにね」

 未婚という共通項で結ばれた二人は、いまや完全に友情が復活している。平田さんは独立の夢にいよいよ着手しようと、休みをとってたびたび東京に来ては、取引先のツテを頼って根回しに奔走していた。

「でも、よく関係を清算しようと思ったね。そういうのって、切れない人は全然切れないじゃん。ミキティ偉い!」

 平田さんは自らの不倫経験を例に挙げて、美紀の決断を褒め称えた。

「未練たらたらになっちゃったらどうしよーって思ってたけど、なんか向こうがあまりにもガーッてくるから、おかげでヒューッて冷めた」

「ハハ、そりゃ冷めるわな」

「冷める冷める。向こうにも、早く冷めてほしい」

「こりゃあもう、全部言っちゃうしかないんじゃない? あなたの奥さんになる人がわたしたちの関係を知って、別れろって迫ったんだって」

「ダメダメ、そんなこと言ったら、華子さんが悪者になっちゃう」

「〝華子さん〟ねぇ。いいね、お嬢さまはみんなに守られて。別にミキティがその子のことかばう義理はないと思うけど」と平田さん。

 義理、という言葉に美紀は耳をピクリとさせ、
「あるの。女同士の義理ってやつがね」
 にやりと企み顔を見せた。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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コメント

pingpongdash 今週も息が詰まる・・・-- 2年以上前 replyretweetfavorite

movingtoomuch 「なんか向こうがあまりにもガーッてくるから、おかげでヒューッて冷めた」 あははー。これは面白い。あるあるすぎる。美紀ちゃんがんばれ! 2年以上前 replyretweetfavorite

hanae_kiryuin 痛快!新訳・心中天網島! 2年以上前 replyretweetfavorite

lei814 なるほど、こうきたか。 https://t.co/IDBlv3wMwc 2年以上前 replyretweetfavorite