まだ収穫できるじゃない
農園に秋が来た。
焚き火の煙が、あっちにゆれたり、こっちにゆれたり。
夫はしゃがんだまま、もう長いこと火を見つめている。
(ぼくの人生、これでよかったのかな……)とでも思っているのだろうか。
それにしても、なんという心地よさ。畑で焚き火ができるなんて、思ってもいなかった。
人生を振り返っている夫。気の毒で、声がかけられません。
事の始まりは、8月も半ばを過ぎたころ。農園のおじさんたちのなかに、夏野菜の処分を始める人が出てきた。まだ青々としている株を、根っこから引き抜いている。
「どうして抜いちゃうの?」
「いつまでも夏野菜にしがみついてちゃダメだよ。さっさと秋冬野菜の準備を始めなくちゃ」
「え~。でもまだ収穫できるじゃない」
我がバイブル『やさいの時間』(NHK出版)にも、たしかに書かれている。
“8月は菜園の衣替えの時期です。『まだ収穫できるかも……』と株の処分を引きのばしてしまうと、秋冬野菜の栽培スタートが遅れてしまいます”
「そんなこと言われたって……」
私は9月に入っても夏野菜を処分できずにいた。
若い男に乗り換えるようなもんだ
思えば、夏野菜はよくとれた。
ピーマンは1本の株に30個以上実ったし、キュウリは3年分くらいをひと夏で食べた。
トウモロコシは、ハクビシンの腹まで満たすほど収穫できたし、ナスもトマトも葉物野菜も大いにとれて、気づけばほとんど野菜を買っていない。
色づく前のパプリカです。若い緑色のうちも食べられます。
「野菜づくりって、思ったより簡単だね」
「ビギナーズラックかな」
夫とそんな言葉を交わした夏も、そろそろ終わりだ。
トマトもピーマンも、たしかに勢いがなくなった。
「でもまだ実がついてるし、次の花も咲いてるよ。それを引き抜いて、別の野菜に替えるなんて……」
そんな薄情なこと、できやしない。
「ずっと自分に尽くしてくれた男を、腹が出て毛が抜けてきたってだけで、若い男に乗り換えるようなもんだよ」
そう言うと、腹の出てきた夫を振り返った。
「そうでしょ? 若い女になんて、乗り換えられないよね?」
「あ……。うん」
なんなんだ、そのしぶしぶの返事は。
そんなある日。草とりをしていた私の鼻を、懐かしい匂いがくすぐったのだ。
立ち上がって見まわすと、農園の奥のほうで、のろしが上がっている。焼き畑……のわけがない。
「焚き火やってる!」
夫も目を上げた。
「ほんとだ。処分した野菜の株を燃やしているんだね。灰は肥料になるし、一石二鳥だ」
この瞬間、私は決めた。腹の出た古い男は、引き抜いて燃やしてしまおう。焚き火がしたい!
燃えろよ 燃えろ
私たちは、その日のうちに夏野菜を土から抜いた。(もったいなくて、何本かは残したけど。)
「早く燃やしてよ」と、夫をせかす。
ちなみに、私たちの農園は農家の土地。一帯には住宅がなく、田畑ばかりだ。役所にも確認したが、農作業で出た野菜くずは、軽微にかぎって燃やしてもいいという。
「抜いてすぐに燃えるわけがないでしょ。乾かさなくちゃ」
残念だが、もっともだ。
1週間待って、夫は野菜くずの山にライターをすった。しかし、何度すっても、いっこうに火がつかない。
「何やってんの? 早くして」私は夫をなじった。
断言しよう。男の評価は、火おこしのうまさで決まる。
「ぼくのせいじゃない。野菜が半ナマだからだよ」
そうぼやくと、夫は野菜くずの山を引っかき回した。
「ほら見ろ。トマトが丸ごと入ってる。これじゃあ燃えるわけないよ」
ぶつぶつ言いながら駐車場へ行き、何やら小さな紙を持ってきた。
「何それ?」
「ゴルフのスコアカードですよ」
車に積んだゴルフバッグから、出してきたらしい。
「ぼくの大事な思い出です。これを焚きつけにします」
「よし、点火!」
がんばれ、カード。焚き火のまわりでマイムマイムを踊らせて!
おお、燃えるぞ、燃えるぞ。パー5を11打もたたいた悲しい思い出が。
私は童謡『たきび』を歌って応援した。ところが、炎はカードを灰にしただけで、さっさと消えてしまったのだ。
「なんなの、これ」がっかりだ。
「火おこしはねぇ、簡単じゃないんですよ」
そんなわけない。スコアのひどさに火も萎えたんだろう。