あのこは貴族

こちらがうちの嫁の華子さん」

【第28回】
東京生まれの箱入り娘・華子は、20代後半で婚活にのめりこんだ挙句、
お見合いで出会ったハンサムな弁護士・青木幸一郎との結納にこぎつけた。
両家の家族は喜びにあふれていたが、華子は幸一郎の態度に一抹の不安を覚えはじめる――。
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第三章 邂逅(女同士の義理、結婚、連鎖)


 青木家と榛原家は帝国ホテル四階の茶室、東光庵で結納を交わし、これをもってついに二人は正式に婚約中の身となった。幸一郎の母は小菊や牡丹の絵羽模様が片袖と裾に入った浅葱色の紋付き訪問着、華子の母京子は若草色の色無地を、そして華子は紗綾形の綸子に鶴亀や松竹梅などのおめでたい吉祥文様がたっぷり描かれた橙地の振り袖を選んだ。

 床の間に並べられた結納品勝男節かつおぶし寿留女するめ子生婦こんぶ、友白髪など、水引細工で飾られた当て字の縁起物—を挟んで、両家に分かれてそれぞれ三人並んで座り、目録と受書、家族書、親族書を取り交わす。「幾久しくお受けいたします」の決まり文句で挨拶し、儀式が済むと祝膳を囲んで親同士が親睦をはかりつつ、結婚式までの段取りが話し合われた。

 開式の挨拶も務めた幸一郎の父は、ダークスーツを着て髪をぴっちりとなでつけている。

「お前たち式はどこで挙げるつもりなんだ?」

 ストレートに水を向けられるや、幸一郎と華子は顔を見合わせ、同時に首を傾げた。華子はここしばらく結納の準備にかかりきりで、挙式や披露宴には頭が回らない状態だった。

「華子さんのご希望は?」

 幸一郎の母が見せた華子への気づかいは、独特に粘着質なものを感じさせる。

 華子は少し考えてこたえた。

「希望は……よくわからないんですけど、お友達がパレスホテルで挙げた式はすごく素敵でした。皇居の緑が金屛風がわりに、新郎新婦の背景になっていて」

「パレスホテルがいいの?」

 きびきびと質問を繰り出す幸一郎の母にちょっと気圧されて、

「いえ……そういうわけでは」

 華子は首をすくめて笑顔でごまかす。

「オークラなんてどうかしら? 青木家はみんな、オークラで挙げてるの。わたしたちも、青木の兄も」

 幸一郎の母がぴしゃりとした断定口調で言った。まるで虎ノ門にあるホテルオークラ東京で式を挙げることが、この世で唯一正しいチョイスであるかのように。そういえば年始の挨拶に青木家へ行ったときも、彼女がオークラの名前を挙げていたことを華子は思い出す。

「オークラは、たしか近々取り壊しの予定じゃなかったですかね? どこかにそんな記事が出ていたような」

 華子の父、宗郎が割って入る。

「え、オークラ、なくなっちゃうの?」

 京子も狼狽して言った。

 事情に詳しいらしい幸一郎の父が説明したところでは、オークラには本館と別館があり、二〇二〇年の東京オリンピックに向けて、老朽化している本館の方を建て替えるという話だった。今年の八月いっぱいで本館はクローズされるが、二〇一九年には高層の新しいビルが建つという。

「あの本館がなくなるなんて信じられない。あのラウンジが壊されるなんて、なんだか」

 オークラが取り壊されるという話をはじめて聞いた京子は、いたく感傷的な様子だ。

 一方、幸一郎の父にそのようなそぶりはなく、社会とはそういうものであるといった調子で、
「国際的なイベントの前になると、ホテル業界が慌ただしくなるもんなんですよ、昔から。たしかオークラ自体、最初にできたのは、六四年のオリンピックの少し前じゃなかったかな」

 腕組みしながらホテルオークラの歴史にまつわる知識を披露した。〝最後の男爵〟と呼ばれた大倉財閥の二代目は、二代目らしくたいそう美意識が高いノブレス・オブリージュのある人物で、敗戦でぼろぼろになった日本に西洋にも胸を張れる一流ホテルを、という思いから、私財を投じてオークラを建てたのだという。虎ノ門と神谷町と六本木一丁目、どの駅からも遠いのが難で、ほとんどの客が自家用車やタクシーを乗りつけて来るが、それも元はそこが、大倉家の所有する土地だった故である。

「青木の母は、まだホテルが建つ前の、大倉さんのお宅だったころの様子を憶えているそうですよ」と、幸一郎の母が夫のトリビアに付け加えた。

「うちは父親の代から神谷町なもので」

 幸一郎の父が補足し、それから、
「オリンピックがらみだと国立競技場が話題ですが、私はオークラの方がよっぽど、オリンピックと日本ってものを象徴しているように思えますな」
 やはり感情は見せずに、そんなことをさらりと言うのだった。

「まあしかし、あのロビーラウンジがなくなるとは残念ですね」と宗郎。

「ええ、本当。ほらあの、有名な照明、なんて言うんでしたっけ。切子玉を繫げたような」
 京子が言葉を思い出そうと虚空を見つめてぼんやりしていると、
「オークラランタン!」
 幸一郎の母が大きく声を弾ませた。

「たしかに、オークラって独特ですね。子供のころからあれが普通だと思ってたから気付かなかったけど。外壁も蔵みたいで和風だし」
 幸一郎が会話にまざり、
「なまこ壁っていうのよ、あれ」
 幸一郎の母もすっかり興が乗った様子だが、
「帝国にいるのにオークラオークラって、なんだか悪いわねえ」
 京子の言葉に「そうですねえ」と同調し、母親二人でふふふと笑い合ったりして、会食は和やかに進んでいった。

 会話はところどころで互いの家のことや仕事に及ぶが、あまり明け透けにはしない。ただ幸一郎の父は、自分の実兄は衆議院議員をやっており、披露宴はその筋の関係者にもたくさん声をかけて、ぜひ息子の晴れ姿をお披露目したいということを強調していた。

「それはそれは、盛大にやらないといけませんね。誰か芸能人にでも来てもらいますか」

 ワッハッハッハと、宗郎がつまらない冗談を言ったり、

「それはそれは、立派なご家族がいらっしゃるんですねぇ」

 京子もさくっと受け流してはいたが、帰りのタクシーに乗り込むなり色めき立って、

「あれってもしかして、幸一郎さんもゆくゆくは代議士にってことかしらねえ」と、政治家がらみの話題で持ちきりになった。

「まあ、そこそこ大きい会社を経営している一族なら、身内の誰か一人は国会に送り込んでるもんだからなあ」

 宗郎はそれが当たり前のことのように言い、「そろそろ代替わりする年代かもしれないなあ」と、どこかまんざらでもない口調である。

 父親としては娘婿になる男が、ゆくゆく議員に立候補するかもしれないというのは、自尊心をくすぐられる話ではあるのかもしれない。一方、京子はもしそんなことになれば、華子がドブ板選挙に駆りだされて、ペコペコ頭を下げて回るようないらぬ苦労をするはめになるのではと、ハラハラ案じるばかりなのだった。


 青木家が懇意にしているオークラの関係者を通じて、宴会予約課のウェディングデスクに打ち合わせの予約が入れられ、披露宴会場も早々に押さえられたことを華子は事後報告で知った。華子さん、この日この時間にこの場所へ行ってちょうだいねと、幸一郎の母からメールが送られてきて、面食らいながらも華子は従うしかない。予約は平日の午前十時だったが、ためしに幸一郎に「一緒に来ます?」と訊くと、「いやいやいや、仕事中だから」とあっさり断られ、一人で行くのかと緊張していたところ、また義母からメールがあって、待ち合わせはオークラの例のラウンジでどうかしらと訊かれ、ああ、同行するつもりだったのかとはっと気づいた。気さくで話しやすいけれどちょっと押しの強い幸一郎の母と二人、ホテルオークラのウェディングデスクを訪ねたのは四月のちょうど桜が満開のころだった。

「こちらがうちの嫁の華子さん」
 と紹介され、かしこまってお辞儀をする。出迎えてくれた宴会予約課の男性は義母もお世話になっている人らしく、お友達と話すように会話が弾んで、お祝いの言葉が飛び交った。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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