世界とは、細かな細部の集合体である。「この世界」を描くために読み込んだ書籍とは
—— 『この世界の片隅に』をアニメ映画化するに当たって、たくさんの資料を自費で集め、読み込んだと伺っていますが。
片渕須直監督(以下、片渕) 資料は相当数手元に取り寄せました。『この世界の片隅に』というまずその「この世界」を描くためには、世界そのものを理解しなければなりません。そして、世界とは細かな細部の集合体以外の何物でもないのです。
—— その、集めた書籍の中でよく参考書籍として使用したものや、映画を作る上でのイメージソースとして使用した書籍などについて、教えてください。
片渕 すずさんは18歳でお嫁に行くことになるのですが、行った先は広島県呉市、当時日本海軍の軍港がある街だったのです。ここには多くの軍艦がおり、海軍の官衙(官庁)があり、軍人や軍の関係者たちが闊歩しています。すずさんの旦那さんになった若者も、呉海軍軍法会議の軍属でした。海軍は独自の雰囲気を持つ集団ですが、たとえば服装などもきちんと調べなくてはなりません。海軍の服制は公的なものですから、公文書を大量に閲覧することになります。さらにそうした公文書の記事にそれ以外の情報を交えてグラフィックに解説した書物として『日本海軍軍装図鑑』というものを手元に置くようになりました。
300ページ以上ある大型本で、明治時代から太平洋戦争終戦までの海軍の服装がカラーで図示されている、専門書に属するような本です。どういう人がこれを書いたのかというと、海軍軍装研究家の柳生悦子さん。実は東宝で映画の衣装を担当されていた方です。 思えばかつての大手映画会社には戦前からすでに存在していたところもあり、「戦前」や「戦時中」が遠い過去でもなんでもない、むしろ「現在」だったころから蓄積されてきた多くの実際的な知識があったはずだったのです。アニメーション映画の作り手である自分たちには目にできないものです。 しかしその一方で、それら大きな映画会社の中に蓄えられていたものも、多くは今の映画人に伝えられていません。僕たちが断絶されていたのは、そうした時の流れの中でなお存在したはずの連続性からであり、そこに手が届かない自分たちはあらためていろいろな知識や知見を築きなおさなければならないということに気づかされてしまいました。
この映画のための資料でもなんでもないのですが、映画を作りながら読んだ小説の中では、アメリカのSF作家コニー・ウィリスの連作長編『ブラックアウト』『オール・クリア』が興味深かったです。ブラックアウトは「灯火管制」、オール・クリアは「空襲警報解除」を意味します。
タイムマシンが発明されたがさまざまな使用上の制約があり、用途が限られる。そこで、もっぱら歴史研究に使われることになった。研究したい時代に向けて「降下」する研究者は、行った先の時代の人に紛れ込めるように、その時代に関するできるだけ多くの知識を身につけて、タイムトラベルに挑みます。たとえば、1940年頃のロンドンの百貨店の女店員のスカートは黒色である、というようなことを。「世界とは細かな細部の集合体以外の何物でもない」ということがここでも述べられていたのでした。 コニー・ウィリスの航時史学生たちは実際に時を越えて行きますが、僕は自分の頭の中でだけ当時の世界に行ける。その違いがあるだけだったのです。
彼女がほんとうにそこに存在している。その姿を、ぜひ劇場で!
—— 映画『この世界の片隅に』の「原作ファンにぜひ見てほしいポイント」と、「原作を知らない人にもぜひアピールしたい、映画の見所」を教えてください。
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