それは、生きるためでしたか。殺すためでしたか。

「パリ解放の日」を迎えても、戦後の混乱はしばらく続いてしまいました。少しずつ灯が戻り始めたパリの街で、若かりし頃のルネおじいちゃんはどうやって穏やかな暮らしを取り戻したのでしょうか。そして牧村さんがこの連載をはじめた時からずっと気になっていた質問ーー「それは、生きるためでしたか。殺すためでしたか」。その答えとは。
牧村朝子さんによる渾身のノンフィクション連載、いよいよ最終回です。(初回はこちら

「夢のコラボ」みたいな言い方を、日本語ではよくすると思う。けれどもこの「コラボ」という言葉、フランス語では「非国民」というような暗い歴史を背負っている。

コラボラトゥール……“ナチスドイツに協力したやつら”。パリ解放後、フランス全土に広がった狂乱は、“コラボ”の蔑称で呼ばれた一部フランス人たちへのとめどない暴力に火をつけてしまった。

フランス人が、フランスの法を無視して、フランス人をリンチする。

この野性の粛清のただなかにあって、1944年のルネおじいちゃんは、どんな日々を過ごしていたのだろう。

「まったく、ひどい“バカ騒ぎ”だった」

ルネおじいちゃんは、語りつづける。戦いに次ぐ、新たな戦いのことを。

「暮らしは厳しいままだった」

ルネおじいちゃんは、かたわらのルネおばあちゃんのひざ掛けを直してあげながら、そう言った。ルネおばあちゃんはうつむいて、その優しい手を目で追っている。

「どこもかしこも嘘つきだらけだったよ。ちっとも戦っちゃいないくせに、『自分もレジスタンスでした!』なんてな。まぁ、つまらん嘘はすぐバレるもんだ。なにより、嘘つき自身がよく分かっているだろう。自分は嘘をついている、ってな。
男は殴られ、女は丸刈りにされた。“コラボ”と名指された女の中には、ドイツの男の恋人だった者もいたようだ。愛のためか、生活のためか知らんがな。あるいは、混乱に乗じて私怨をぶつけられた無実の者もいたかもしれん」

歴史の教科書にはこう書いてある。「1944年8月25日、パリ解放」。けれども、パリが本当の意味で解放されるまでには、まだまだ時間が必要だったということがルネおじいちゃんの話から伺える。

ナチスドイツからは自由になっても、憎しみからは自由になれない人々がいたのだ。

「そういうリンチは、パリ市内で起こっていたんですか」

「はじめは、パリ市内で。やがて、フランスのあちこちに広がった。リンチの噂を耳にしない日はないほどだったが、真偽のほどは、ニュースを聞くまでもない」

ルネおじいちゃんは間を置いて、
「外に出ればわかることだからな」
そう付け加えた。

そういう話し方は、ルネおじいちゃんがジョークに落ちをつける時のやり方だったが、はっはぁ! というあの笑い声を添えることはしなかった。

「俺は財務省の仕事に戻った。さすがに財務省の中では、リンチが起こることはなかった。なにせ、戦争の後だ。仕事なら山積みだからな。壊すより、また作りなおすことを考えなきゃならんだろう。
後に何を作るかも考えず、ただ壊すことは、憎しみに囚われた奴のすることだ。
俺は、自由だ。
だが……憎しみに燃えて壊すことには、自由によく似た快感がある。偽りの美酒に酔わされた奴らは、ただ、壊したがるものだ。後には何も生まれないのに。
そうしてフランスが無法地帯と化す中、こんな知らせが俺の耳に入った。第一次世界大戦でフランスの英雄になった男・ペタン元帥に、死刑が宣告された、と」

第一次世界大戦。ルネおじいちゃんの父親に、瀕死の重傷を負わせた戦争だ。けれども、その指導者を死刑にすることに、ルネおじいちゃんが意味を見出していないのはよく伝わってきた。

「ペタンを殺して何になる? しぼみきった白ヒゲの老人だぞ。
そこにやってきたのが、シャルル・ド・ゴールだったというわけだ。フランスに戻った彼を、フランス人は熱狂をもって迎えた。なにせド・ゴールは、パリがナチスドイツの手に落ちても、“諦めるな!”と叫んだ勇気ある男だ。そんな彼の一声で、ペタンは死刑から救われたんだ。
ド・ゴールはまた、国際裁判の場でも諦めなかった。そのおかげで、フランスは第二次世界大戦終結後も、戦勝国側のような扱いを受けられることになったんだな」

私は思い出す。日本の8月15日が“終戦記念日”と呼ばれるのに対し、フランスでは、5月8日を“戦勝記念日”と呼んでいることを。今でも、パリのメトロ7番線の始まりの駅は、“ラ・クールヌーヴ‐1945年5月8日駅”という長い名前で呼ばれている。

「狂乱は、1944年の夏、パリ解放と言われる日から始まった。その熱が冷め、1945年5月、やっと新しい夏が始まろうとしていたんだ。
財務省官僚の人数はぐっと減っていた。“コラボ”が一斉にクビにされたからな。それで、俺やアラン・ポエールは大昇進を遂げた。ポエールが、財務省社会福祉部の部長。俺は副部長だ。だがポエールは1946年、政治家としての再スタートを切ることになる。
戦争が終わり、灯火管制もなくなって、パリの夜には灯りが戻っていた。だが、パリ市民の胃袋は相変わらず空っぽのままだ。ポエールは、財務省の外に出て、市民の暮らし自体を立て直そうとしたわけだな。そして俺の使命は、財務省で働く者の暮らしを立て直すことだった、というわけだ。
貧しい暮らしを強いられ続けたフランス人の中には、共産主義に救いを見出そうとする者も少なくなかった。だが、俺は違った。共産主義に限らず、いかなる政党、いかなる政治思想に縛られることも俺は望まない。
人は俺をレジスタンスと呼ぶだろうが、俺にとって、俺は、俺だ。俺は自分の意志でポエールを信じて、単独行動で戦ってきた。俺は俺が正しいと思うことをして生きる。それだけだ。
そうだな……色んなことをしたよ。アパルトマンを建てて職員の住居を保障したり、子どものためのセンターを作ったり。スポーツを通じた国際交流クラブを設立したりもしたもんだな……」

そこでルネおじいちゃんは間を置くと、ルネおばあちゃんのほうを見て、

「まぁそこは、大人の社交クラブにもなったわけだがな?」

目配せをした。

「あら、ルネったら!」

思わず声をあげたルネおばあちゃんを見て、ルネおじいちゃんは今度こそ、はっはぁ! と笑う。きっとこの笑い声と、冗談を言う前に間を置く癖は、若いころから変わらないんだろうな。ふたりの様子を見ていたら、なんだかそんな気がしてきた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
ルネおじいちゃんと世界大戦

牧村朝子

第二次世界大戦終戦から、今年で70年。「戦争」という言葉を聞いて、みなさんはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか? 日本人にとっての戦争は、映画や教科書や遠い国のニュースの中のものとなりつつあります。そんな中、フランスで国際同性婚を...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

mejamoo |牧村朝子 @makimuuuuuu |ルネおじいちゃんと世界大戦 壮大で緊張感のある連載だったけど終わり方、家族にぐーっと寄って、いい終わり方だなぁ。 https://t.co 2年以上前 replyretweetfavorite

tipi012011 “後に何を作るかも考えず、ただ壊すことは、憎しみに囚われた奴のすることだ。 俺は、自由だ” か。深いなぁ。 2年以上前 replyretweetfavorite

chilican_tw 毎回目を見開いて読んでいた。連載を読むたびに、びっ、と左肩が緊張していました。 2年以上前 replyretweetfavorite

wasanbone “ルネ”は“もう一度生まれる”という意味。 同じ名前を持つルネおじいちゃんとルネおばあちゃんが仲良しで可愛いです。 https://t.co/Y0uRjIJiTx 2年以上前 replyretweetfavorite