そのドアを開けたら、シンバルが爆ぜるように響いた。
ふるえる金属音を貫き、馬のいななきが馳せる。
ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と、真夜中のシンクに落ちる水滴みたいなテンポの音が近づいてくる。あれは、ルネおばあちゃんだ。ルネおばあちゃんが杖をつく音だ。
「Bonsoir, les filles.(よく来たわね、お嬢さんたち)」
「Bonsoir Mamie !(おばあちゃん、こんばんは!)」
ルネおばあちゃんがそんなに歩かなくて済むよう、妻は自分からおばあちゃんのほうに近づいていった。家の奥から、古いラジオみたいな音がする。シンバルのさわがしい音楽に乗せて、若い男たちが歌っている。
おかしいな。いつも出迎えてくれるのはルネおじいちゃんの方だ。ちょっぴり心配しながらも、私はルネおばあちゃんだけにビズビズの挨拶を済ませる。
ルネおじいちゃんとルネおばあちゃんの家は、いつも締め切って真っ暗だ。ふたりの青い瞳は強い光に弱いので、いつも暗い中に淡いオレンジの光ばかりが灯されている。
そういう灯りの中で、今日はついに、特別な話を聞かせてもらおうとしていた。ルネおじいちゃんに初めて会ってからというもの、今までずっと、ルネおじいちゃんが子どもだったころからの話を聞かせてもらってきた。
頭に穴が開いたまま、捕虜として異国の病院に横たわっていた父親。
そんな彼を待ち続け、戦争が終わるやいなや恋しい人のもとへ向かった母親。
ふたりの間に生まれた、ちいさなルネ少年。
麦畑の夏休み。
戦争の学校に、丘の上の演説、はじめて国に逆らった22歳の日。
それからというものルネおじいちゃんは、貫くように生き抜いてきた。
「Allez, les gars !(やれ、ボウズども!)」
と、ルネおじいちゃんの怒鳴り声。どうやら、さっきからテレビドラマの戦闘シーンを見ているらしい。テレビの向こうの、くぐもった銃声。ルネおじいちゃんの家のドアを開けた瞬間に聞こえた、さわがしい音楽も続いている。いま挨拶に行っていいのかちょっと戸惑いながら、家の奥へと歩みを進めていく。
「おい、ばかやろう。そこで撃つな! Ah, merde(くそっ)!」
テレビの薄明かりと、ルネおじいちゃんの怒鳴り声。観ている番組は、私にはよくわからないが、たぶん「怪傑ゾロ」だと思う。眼鏡も補聴器も断固拒否し続けているルネおじいちゃんは、いつもルネおばあちゃんにテレビガイドを渡してこう尋ねる。愛する君、明日はゾロの放送日か!?……そうか、ならばラ・ヴィ・エ・ベル、人生は美しい。
そんなに楽しみなゾロを観ている時に、話しかけてもいいものか。ルネおばあちゃんに視線を送ったら、困ったような微笑みを返された。私たちはゾロが終わるのを待つことにして、ルネおじいちゃんの背後のソファにそっと腰掛ける。テレビの音量を最大に近いところまで上げたうえ、さらにヘッドホンをしているルネおじいちゃんは私たちにまったく気づかない。
「そら見ろ、撃つなと言ったのに。ああ、ダメだ。退避! 退避ーッ!」
ルネおじいちゃんの号令に合わせて、テレビの中の銃士たちもぱたぱたと逃げて行く。思わず笑ってしまったあとで、なんというか……急にリアルに胸に迫った。おじいちゃんは、戦争と言う名の殺し合いを経験している人なのだ、という事実が。
「……………………」
ふと、ルネおじいちゃんは立ち上がる。こちらを向くと、眉を弓なりにくいっと上げて、歓迎だ、とでもいうように両腕を広げてみせる。いつから気づいていたんだろう?
「ボンソワール、おじいちゃん」
私は挨拶のハグをした。香水とパイプ煙草の匂いがした。
ここはパリ。
自由、平等、博愛の街。
1944年、26歳の反乱分子だったおじいちゃんが、命を賭けて守り抜いた街——。
その最後の決戦の話を、私たちは今から聞こうとしていた。
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