あまりにさびしい結婚式だけど
1974年10月。新郎・笑福亭鶴瓶と新婦・玲子の結婚式が執り行われた。
披露宴に出席したのは兄弟も含めて、わずか20人余り。鶴瓶の人脈を考えるとあまりに寂しいものだった。
本来、いるべき人たちが参列していなかったのだ。
玲子側の親族である。
両親の誠意あふれる反対
実は鶴瓶は玲子へプロポーズしてから1年足らずで一度、彼女の実家に訪れていた。
まだ鶴瓶は師匠・松鶴に入門して1年目 、彼女も大学在学中の頃、ふたりとも21歳のときだ。
アフロヘアを無理やり七・三にピシッと分け、正装した鶴瓶は、彼女の両親に向かって言った。
「早すぎることは、僕もよくわかっているつもりです。だから今すぐとはいいません。僕に玲子さんをください。必ず幸せにしますから……」※1
突然の申込みに両親は当惑。その場では「はい」や「いいえ」という明確な答えは得られなかった。
だが、その半月後、父親から長文の手紙が届いた。
「貴君は元気で芸の修業に励んでおられると言と思います」と始まるそれは、娘はもちろん鶴瓶までの将来を真剣に案じつつ、明確に結婚や婚約には「NO」をつきつける内容だった。
「君は今、夢を求めている最中だ」「それなのに、君の夢を壊してしまうことになる」と。
当然、その答えは予想していたが、それが現実となるとやはりショックだった。けれど、その誠意あふれる手紙には感動した。
「俺は、人の息子でしょ。どうなろうが勝手でしょ。それなのにこんないい手紙くれて。だから、俺、この家族にほれましたね」※2
親の反対で彼らの心が揺らぐことはなかった。むしろ、反対されればされるほど、2人の心は燃え上がっていった。
遠距離をつないだ想い
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