久しぶりに、名詞で命令する人を見た。
「メシ!」
「風呂!」
「くつした!!」
みたいな、ああいうのだ。
家事ができないのか、それとも、「自分には他にもっと重大な仕事があるのだから家事くらい目下の者がやれ」と偉さをアピっているのか、その両方なのか知らんが、ともかく、名詞ひとつで人になにかを要求するさまは、私に、アレを思い起こさせた。
乳幼児だ。
「マンマ!」「おしっこ!」「おんぶ~!」みたいな、発達心理学で言う“一語文”というやつだ。
一語文で要求できる相手がいることは、なんて恵まれたことだろうか。まあ、一語文で要求するくらいにぴったり依存して未分化でいる限り、きっと気が付かないことだろうけれども
私たちは、世界と未分化なままに生まれてくる。
「一語文」を調べるために発達心理学についてググって思い出したけれど、赤ちゃんは、世界と未分化であるらしい。ママのおっぱいに吸い付きながら、どこまでが自分でどこからがママなのかもわからないままでいる。赤ちゃんにとって、自分は世界であり、世界は自分なのだ。
んまんま、と口を動かしながらおっぱいを吸ううちに、赤ちゃんは、自分を生かすなにものかを「まんま~」と呼ぶ。その「まんま」は、「母」かもしれないし、「食べ物」かもしれないが……とにかく、自分の外側のなにかに向けて声を発した時、それは言葉となる。そして、自分と自分でないものを、分断する。
言葉が世界を切り分けていく。
「わんわん」「ぶーぶー」「じいじ」「おひさま」「おともだち」そして、「しらないこ」……乳幼児の目にうつる世界には、一語おぼえるたびに、ひとすじ切れ目が入る。
言葉のナイフはやがて、自分自身にも向かう。
「からだ」「あたま」「こころ」「うそ」そして、「ほんと」……
続いて、自分を含む人間全体が切り分けられる。
「いいこ」「わるいこ」「こども」「おとな」「おとこのこ」「おんなのこ」「日本人」「外国人」「マジョリティ」「マイノリティ」。
バラバラにみじん切りにするのは、痛い。かなしい。でもだからこそ、うまく混ざるってもんだとも思う。ポロポロに切った玉ねぎと、グチャグチャに挽いた肉と、パラパラにしたパン粉をよく混ぜてハンバーグにするみたいに。
できるだけバラバラに切って混ぜなければ、フライパンの中で崩れてしまう。食べて自分の一部にするのにも、消化不良を起こしてしまう。だから、ナイフを振り回すのだ。切って切って切って切って切って、切り分けるのだ。