あのこは貴族

内部生たちとの、嫉妬するのもバカらしくなるような大いなる隔たり

【第23回】
32歳の美紀はお正月の実家で、大学時代のことを思い出していた。
地方から上京して慶応義塾大学に入学し、初めて東京生まれの同級生たちと出会って、カルチャーショックを受けた。ちょうど同じころ実家が経済的に困窮し、仕送り額を減らされることが決まって――。
気鋭の作家・山内マリコがアラサー女子の葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。


 その店は道玄坂の、雑居ビルの五階にあった。店の奥にある事務所で引き合わされたマネージャーの男は、瘦せこけて青白く、ひどい凶相である。生まれつきなのか、それともこの仕事を続けているせいでこういう人相になってしまったのか。男は美紀をぎろりと睨め回し、

「胸ないなぁ~。寄せて上げてそれ?」と渋い顔をしながらも、「ミナホが面倒見るなら」という条件付きでOKを出した。

「やったぁ! よかったね!!」

 ミナホはなぜか、わがことのように喜んでいる。

「でも脚はまあまあきれいかもな。脚出してこうね、脚」

 マネージャーのお達しにより脚推しでいくことが決定。すかさずミナホが、
「いい服あるから!」
 と大見得を切った。

 109でミナホが買ったマイクロミニのワンピースを着て高いヒールを履くと、美紀のまっすぐな脚が強調され、ミナホも「なんだ、スタイルいいんじゃん!」と褒めちぎった。その格好で客の横に座り、ぎこちなく笑うだけで時間がどんどん過ぎて行く。太ももにあからさまにいやらしい視線を這わせる男もいれば、「俺こういう野暮ったい子嫌いなんだよ、田舎を思い出すから、ハハハ」と軽口まじりに罵倒しつつも、案外気に入って延長してくれる客もいたし、「化粧とか上手くなられたらやだな。初々しさを失くさないで」などと願望を押しつける男もいて、千差万別だった。とにかくみな、金を払っているのでなんの遠慮もなく、女の子の容姿を本人を眼前にして、大上段から批評してくるのだった。

 女の子は二十分ごとに交代するシステムで、延長が入らない限りはキリの良いところで合図を出されて席を立てるのがよかった。常に客についているわけではなく、お茶をひく時間もそれなりに長い。立ちっぱなしで気が抜けなかったバーの仕事に比べると、のんびり座っていても許されるこの仕事は、張り合いがないくらいに楽である。ミナホが言っていたとおり、現役女子大生というのがあらゆる免罪符になっているようだ。ここには腕まくりをして鬱憤を晴らしに来る嫌な客は少なく、少し話し込めば、輝けなかった学生時代に悔いがあることを切々と打ち明けてくるようなモテない男が多かった。

 父親の顔色をうかがうのに慣れているせいか、美紀は相手がなにを求めているのかを瞬時に察知し、如何ようにでもそれに合わせることができた。

「この仕事にけっこう向いてるかもね」

 とミナホが言う通り、かすかに緊張はするものの、客についている時間が嫌というわけではない。この人はどういう人なんだろうと興味を持って臨めば、どんな客ともそれなりに会話は弾んだ。それに漁港育ちの美紀は荒っぽい気性の男に慣れているから、多少横柄な態度をとられても怯んだりしなかった。

「案外使えそう」

 という評価をマネージャーからもらい、週三で入ることになった。

 美紀が初日のバイトを無事に終えると、

「はいこれ」マネージャーはミナホに封筒を渡した。

「わぁ~い!」

 ミナホは無邪気にその場で封筒をまさぐり、中から出てきたのが一万円札であるのを美紀は横目で目撃してしまう。

 あぁ、と美紀は思った。そういう紹介制度があったのか。どうりであんなに親切だったわけだ。

「次からも脚出してね、頼むよ」

 マネージャーは後ろから、大きな声で念押しした。

 自分の服に着替えてぎゅう詰めの終電に揺られながら美紀は、世の中の本性を垣間見た気がして、かすかに興奮している。男と女が互いのリソースをおおっぴらに搾取し合うえげつない構造が、商売としてまかり通っているとは、なんて汚いんだろう。そして自分はその世界に、飛び込もうとしているのだ。

 店長から言い渡された時給は、バーより百円だけ多い、千六百円だった。

 十一月に入り、みんなが学園祭の準備で盛り上がっているのをよそに、美紀はますますバイトに明け暮れた。アルバイト収入だけで八万円ほど稼ぐようになっているが、美容院代に化粧品代に洋服代と必要経費はかさむ一方で、手元に残るお金はほとんどない。きれいにしなければ店で立場がないし時給も上がらない。せっかく稼いだお金が、109やパルコやルミネに吸い取られていく。買い物は快感と罪悪感が背中合わせだ。それでも買わずにいられない。

「リエはもっと大人っぽい感じが似合うんじゃない?」

 ミナホにアドバイスされ、目からうろこが落ちるように、美紀の中に「似合う」という概念が誕生した。雑誌をめくってモデルを眺めながら、「こんなふうになりたい」とため息をつく必要はないのだ。どんなものが自分に似合うかを追求しはじめたら、ファッション誌を見るのが苦痛でなくなった。美紀は背が高く素っ気ない顔立ちのせいで、「可愛い」と形容される要素がまったくないのがコンプレックスだったが、むしろそれを活かして思い切り大人びた格好をするようになると、自分でも意外なほどしっくり落ち着く。背中まで伸びた髪を明るい色に染め、あっさりした顔に濃い目のスモーキーなアイメイクを施せば、どこかただ者ではないような、ミステリアスな雰囲気すら漂った。店の行き帰りに渋谷を歩いていると、キャッチに声をかけられたりナンパされたりといったことが日常茶飯事になった。

 すっかりなおざりになっていたキャンパスライフだが、美紀の外見が変化するにしたがって男子から話しかけられることも増え、自分のポジションが入学時より格段に上がっているのを実感する。そしてはじめての彼氏までできた。経済学部の二年生に、一目惚れしたと告白されたのだ。学内で有名なダンスサークルに入っているらしく、かなり遊び慣れてそうな感じだったが、美紀は好きでも嫌いでもない初対面のその人からの告白を、即座に受け入れた。実家生の彼は車を持っていて、はじめてのデートではみなとみらいに連れて行ってくれた。大観覧車に乗って横浜の夜景を一望し、ファミレスじゃないちゃんとしたレストランで食事をする。車でアパートに送り届けられるころには、美紀はもうその人を好きになっている。体はすぐに許した。セックスによって、男性に抱いている根源的な恐怖みたいなものが融けていく感じがした。彼氏がいるということは、なにか大きな後ろ盾を得たように心強いものだった。自分に自信がついた。美紀の人生が、にわかに楽しくなっている。

「三田祭、一緒に行かない?」

 ミナホに誘われ、

「あー行きたいけど、塾講のバイト入れちゃった」

 ごめん、と美紀は手を合わせて断る。

 客待ちの間に私語していると、通りがかりにマネージャーが「シッ」と言って、二人の頭を軽くポンポン叩いていく。二人はそれを冷たく無視して話を続けた。

「ねえ、内部生の青木くんとかあそこらへんのグループ、三田祭で授業休みの間、ニューヨーク行くんだって」とミナホ。

「は? ニューヨーク??」

「らしいよ。いまの時期はチケットが安いからお得とか言って」

「へぇ、ニューヨークねぇ……。ニューヨークなんていくらあったら行けるのか、想像もできないや」

 自分が小学生に算数を教えている間、彼らはニューヨークだなんて、もう次元が違いすぎる。ふと美紀は、もし入学したのが慶應じゃなくて、内部生なんかいないもっと普通の大学だったら、こんな気持ちにいちいち苛まれることはなかったのかなぁと思った。もし早稲田に行っていたら……と考えた端から、早稲女と蔑まれる女の子たちの様子が浮かんだ。あっちもあっちで大変そうだ。東京の大学を偏差値でしか知らなかった美紀にとって、大学名でラベリングされる息苦しさは、まったく想像もしていないことだった。そんな事情は美紀が受験生時代に手にできた唯一の情報源であるパンフレットには一つも書かれていなかった。

「あたし行ったことない、海外なんて」

 とミナホが言うので、

「あたしも。そもそも飛行機に乗ったことがない」

 美紀は肩を落とした。

 学園祭という青春の一ページに外部生たちが盛り上がっているときに、ふらりと海外へ遊びに行く内部生たちのことを思うと、美紀はなんとも言えない暗い気分になる。帰国子女たちが流暢に話す英語の発音。腕から提げた新作ブランドバッグ。そして極めつきの海外旅行。自分がどうあがいても手の届かないものを、なんの苦もなく手にしている内部生たちとの、嫉妬するのもバカらしくなるような大いなる隔たり。

「あたし、あの人たちとは一生かかわらないと思う」

 そう宣言する美紀に対し、

「あたしは擦り寄っておこぼれもらいたいなぁ~」

 ミナホは下卑た笑いを滲ませながら、「でも金持ちって金持ちとしかつるまないもんね~」と、諦めの境地でこぼした。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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