「ほな、よろしく!」
サッと裏口のドアを開けて、吉田さんは中に消えた。
遠くなる吉田さんの後ろ姿を目で追えればサマになったのだろうが、そうもいかなかった僕たちは、なるべく平静を装ってネタ合わせに集中した。
年齢順で、出番はター坊・ケン坊からの華丸大吉に決まっていた。
舞台は店内の割と立派なステージで、普段はそこで酔客がカラオケを歌っているのだろう、簡易的な暗幕が張られた舞台袖には、そのほとんどを占領するかのように巨大なカラオケ機が隠されていた。
その物陰で息を潜めていると、突然、店員さんらしき人のアナウンスが場内を駆け巡る。
いよいよ本番だ。
ざわつく場内からじっとりと漏れ聞こえる、これ以上ないほどのパラパラとした拍手。
瞬時に本能が敗戦濃厚な舞台だと訴えかけてきたが、ここで引き返すわけにも行かない。
僕たちは無言でター坊・ケン坊を送り出した。
勢いよく舞台に飛び出したふたりは、軽い自己紹介の後、早速オーディションの優勝ネタに入った。
なんだかんだ言っても、これはさすがに手堅いだろう。ここで掴めば、なんとかなるかもしれない。
袖からは舞台も客席も見えなかったので、僕は祈る思いで全神経を両耳に集中させた。
しかし店内のリアクションは、僕の予想を遙かに下回るものだった。
ター坊・ケン坊の声は聞こえる。 もちろん、お客さんの声も聞こえる。
しかし、それらの声は別々の方向に発せられていた。
野次られるわけでもなく。
笑われているわけでもなく。
ましてや、笑わせているわけでもなく。
シンプルに、誰もター坊・ケン坊のネタを聞いていなかったのだ。
そこまで客席は埋まっていないのだろう。
ぽつぽつと聞こえる話し声や嬌声は男女のじゃれ合いそのもので、そんな通常営業を邪魔するかのように、ター坊・ケン坊のオーディション優勝ネタが店内を真っ直ぐに上滑りし続けていた。
石ころぼうし。
ふと、ドラえもんの秘密道具が頭に浮かぶ。
誰もター坊・ケン坊の存在に気付いてないのかな?
あいつら、石ころぼうしでも被ってたっけ?
確か水をかぶって頭から取れなくなるんだよな、石ころぼうし。
現実逃避寸前の自分と戦いながら、必死で耳をそばだてる。
客席の会話に紛れ込んでいた「誰あれ?」という男性の声は、唯一のエールだったのかもしれない。
出番は年齢順とはいえ、それは多少なりとも考えた結果だった。
僕たちの目論見ではター坊・ケン坊が優勝したショートコントでドカンとウケた後、どうにかつないで、残りは華丸大吉が地元ネタでなんとか逃げ切るという算段だったのだ。
このままバトンを渡されても、僕たちに為す術はない。
これはヤバい。ヤバすぎる。
すがるような目で華丸を見ると、同じように危険を察知したのだろう、華丸も唇を噛んだまま天を仰いでいた。
何か手を打たなければ、しかし何をどうすればいいのか、そもそも今さら何が出来るのか。
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