ドラッグをやっているのか、と母が聞いた

田舎町の貧しい崩壊家庭に生まれたジム少年は、ある夏の日、ふらりと訪れた手品用品の店で不思議な女性と出会います。その女性は「何でも欲しいものを出せるマジック」を教えてあげるから毎日店に来るように言いました。半信半疑でジムは店に通い続け、そして自分が変わっていくことを実感します。実は、彼の脳の中で大きな変化が起きていたのでした。

心臓と脳の親密な関係

その朝は、自分を褒める練習から始めた。すごく変な感じだった。僕はいい子だ、僕のせいじゃない、僕はいい人間だと何度も繰り返した。自分があのラジオ局のDJになったみたいだったけど、口に出すのはすべてやさしくて慰めになる言葉だった。

「僕には価値がある。

愛されている。

大切にされている。

僕は他人を大切にする。

自分のためにいいことだけを選ぶ。

他人のためにいいことだけを選ぶ。

僕は自分が大好きだ。

他人が大好きだ。

僕は心を開く。

僕の心は開かれている」

ルースは僕にこの10カ条を書き出させて、毎朝毎晩この言葉を繰り返させた。

次に、自分と家族と友だちと、僕の嫌いな人やそれにふさわしくない人にも、愛する気持ちを送るようにとルースは言った。そう言われて、僕が困った顔をしたのをルースは見ていた。

「ジム、他人を傷つける人こそ、いちばん深く傷ついているのよ」

でも、難しかった。僕をボコボコにしたいじめっ子のことを受け入れるなんてできないと思った。僕はやつが大嫌いだし、僕に意地悪したり僕を傷つけたりした人みんなが憎らしかった。でも、努力してやり続けた。何度も何度も。しばらくすると、やつらが傷ついて、ボコボコにされて、痛くて泣いている姿を想像して、僕がやられたときと同じだと思ったら、できるようになってきた。僕が誰かに怒っているときは、だいたいいつも内側が傷ついていることに気づいたら、簡単になった。僕は自分に怒っていた。以前はそれに気づかなかった。ルースの言葉が何度もよみがえった。

「他人を傷つける人こそ、いちばん深く傷ついているの」

そのとおりだった。ルースが伝えたかったのは、そこだった。自分の傷を癒やすことができれば、痛みはなくなるし、他人を傷つけることもない。

その前の週、ルースは、欲しいものを何でも手に入れる力を最後に教えてくれると言っていた。僕は早くそっちに移りたかった。心について話すのにはもう飽きていた。そればかりずっと考えているのがつらかった。長い時間をかけて自分の奥深くに埋めようとしてきたつらいことをたくさん思い出してしまうからだ。でも、それが表に出るとすごくつらいけど、だんだん楽になっていくことにも気がついた。自分を責めたり、自分のせいだと思ったりしなくなった。ルースは僕の心を大きく開いてくれた。ときにはそれで痛みを感じることもあったけれど、気持ちよかった。

人間が初めて聞く音はみんな同じだ。それは母親の心臓の鼓動だ。その一定のリズムは人

間が知る最初のつながりで、僕たちはそれを頭でなく心臓で知っている。真っ暗な場所で慰めと安全を感じるのは、心臓だ。心臓は人をひとつに結び、はなればなれになると心臓は壊れてしまう。心臓には特別な魔法がある。愛だ。

ウィスコンシン大学のリチャード・デビッドソンが共感について最初に研究しはじめたとき、研究パートナーになったのは、長年瞑想の修行をしていたチベットの僧たちだった。共感を計測するため、僧たちは電極が無数についたキャップを頭にかぶって脳波を測定することになった。この実験について聞いた僧たちは、みんな笑いだした。

「共感は脳が発するものじゃありません。心臓からくるんです」

心臓は知性を持つ臓器で、脳から大きな影響を受けるだけでなく、わたしたちの脳にも、感情にも、理性にも、選択にも大きな影響を与えることが研究で示されている。脳からの指示を受け身で待つのではなく、心臓自身が考え、身体のすべての部分に信号を送り出している。脳幹から出る迷走神経の一部で、心臓にもそのほかの臓器にも膨大な支配を及ぼしている部分は、自律神経系(ANS)の一部だ。

心拍変動と呼ばれる心臓のリズムは、人の内面の感情の状態を反映し、自律神経系の影響を受ける。ストレスや恐れのあるときは、迷走神経トーン指数が低くなり、自律神経系のうちの交感神経系(SNS)が支配的になる。交感神経系は神経系のなかでも原始的な部分で、血圧や心拍数を上げたり、心拍変動を下げたりすることで脅威や不安に対応する。逆に、ゆったりとリラックスしているときは、迷走神経トーン指数が高くなり、副交感神経系(PSN)が支配的になる。

闘争・逃走反応を刺激する交感神経系とは対照的に、副交感神経系は休息・消化反応を促す。心拍変動を測れば、ストレスと感情に心臓と神経系がどう反応しているかを分析できる。愛と共感によって心拍変動は増加するが、不安や怒りやうっぷんを感じると心拍変動が減少し、よりスムーズで一定になる。落ち着いていてリラックスしているときこそ、心拍変動が安定していそうなものだが、じつは反対なのだ。

面白いことに、突然の心臓死の原因として非常に多いのが、心拍変動の減少だ。これは、慢性的な脅威や迷走神経トーン指数の低下によって起きる。

いま振り返ってみると、ルースは僕の脳内に新しい神経結合をつくる手助けをしてくれていたのだった。僕にとって、それは神経可塑性の初体験だった。この言葉が一般的になるはるか以前のことだ。この理論は120年前にアメリカ人心理学者のウィリアム・ジェームズが初めて提唱したが、20世紀の後半になってやっと現実に神経可塑性が理解されるようになった。

ルースは新しい神経回路をつくることで僕の脳を変える訓練をしてくれていただけでなく、迷走神経を整えることを助け、それによって感情と心拍と血圧をコントロールする

ことを教えてくれていた。僕はルースの教えが効くことはわかってはいたけれど、そのマジックの裏にある生理学については何も知らなかった、ルースのおかげで僕の集中力と注意力は増し、気持ちは落ち着き、免疫システムは強化され、ストレスレベルは下がり、血圧まで下がっていた。

あるとき母が僕にドラッグをやっているのかと聞いた。僕は一度もドラッグに手を出したことなんてなかった。お酒もドラッグも死ぬほど怖かった。母はそれまでに何度かドラッグで自殺を図っていた。僕が以前よりもずっと落ち着いて幸せそうに見える、前みたいに追いつめられている感じがしないと言った。ルースは感情をコントロールする力や、共感する気持ちや、社会とのつながりを高め、僕を楽観的にしてくれた。自分自身に対する見方も世界への見方も変えてくれた。

そして、それがすべてを一変させた。

最高のマジシャンは観客を巧みにひきつけ、記憶を操り、相手に何も意識させずに彼らの選択に影響を与えることができる。ルースは僕に、身体をリラックスして思考を手なずける方法を教えることで、僕自身が意識の向け方をコントロールできるよう指導してくれていた。僕に、最強のマジックを、「脱出王」フーディーニよりもすごいイリュージョンを、身勝手なヤジを飛ばしている本当に疑り深い観客の前で、つまり僕の心の前で、やってのける技を教えてくれていた。

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スタンフォードの脳外科医が教わった、人生の扉を開く最強のマジック

ジェームズ・ドゥティ

スタンフォード大学の脳外科医、ジェームズ・ドゥティ氏は子供時代、アル中の父、鬱病の母の面倒をみながら生活保護で暮らしていました。大学進学など想像も出来なかった人生を変えたのは、手品用品店で出会った女性から教わった「マジック」でした。そ...もっと読む

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コメント

asatosat0 https://t.co/KcZQqIcA8k 生理学と絡めてあるなら、自分にとっては読みやすいなあ。 3年弱前 replyretweetfavorite

a_tocci 「共感は脳が発するものじゃありません。心臓からくるんです」https://t.co/5elyKsYYII 3年弱前 replyretweetfavorite

a_tocci 「人間が初めて聞く音はみんな同じだ。それは母親の心臓の鼓動だ。その一定のリズムは人間が知る最初のつながりで、僕たちはそれを頭でなく心臓で知っている。真っ暗な場所で慰めと安全を感じるのは、心臓だ。」https://t.co/5elyKsYYII 3年弱前 replyretweetfavorite

President_Books 「他人を傷つける人こそ、いちばん深く傷ついているの」 そのとおりだった。自分の傷を癒やすことができれば、痛みはなくなるし、他人を傷つけることもない―― |人生の扉を開く最強のマジック https://t.co/jbOmsruzIb 3年弱前 replyretweetfavorite