意識を集中するためのおまじない

田舎町の貧しい崩壊家庭に生まれたジム少年は、ある夏の日、ふらりと訪れた手品用品の店で不思議な女性と出会います。その女性は「何でも欲しいものを出せるマジック」を教えてあげるから毎日店に来るように言いました。半信半疑で、ジム少年は店に通い続けます。からだをリラックスさせる練習のあとに教わったのは、意識を集中することでした。これがなかなか難しく……。

意味のない言葉を繰り返し唱える

それから3週間ほど、僕は自分の考えを観察して、心を静めるための三つの方法を練習して過ごした。呼吸に意識を向けること、ろうそくの炎を見つめること、そして最後の方法。マントラだ。

「マントラって知ってる?」

僕は首を振った。さっぱりわからない。

「集中を助けてくれる歌とか、音みたいなもの。これまで呼吸やろうそくに意識を集中してきたけど、これはまた別の心のトリックなの」

ルースを見ると、ホイッスルとベルのついたネックレスを着けていた。このことなの? そのときルースが僕の方にからだを傾けて、ベルがちりんと音をたてた。僕は吹き出しそうになった。ルースもベルを見て笑った。

「あら、このことじゃないのよ」

「どんな音?」なんだか妙なことになりそうだと思った。

「人によって違うの。自分にとって大切な言葉だったり、何か魔法のような意味のあるフレーズだったり。何でもいいの。言葉はあまり重要じゃなくて、音が大切なの」

「なんて言えばいいの?」

「なんでもいいのよ。どんなものでもいいけど、何度も何度も繰り返すの」

「大きな声で?」

「ううん、独り言みたいに」

絶対にヘンだ。大切な言葉なんてぜんぜん思いつかない。頭の中で何度も繰り返す言葉なんて、罵り文句くらいだ。でも、ルースが言ってるのはそういうことじゃないのは確かだった。

「決まった?」

ルースは僕が何か魔法の言葉を思いつくのをのんびりと待ってくれていたけれど、まったく何も思い浮かばなかった。

「思いつかない」

マジックでは言葉が大切だって知っていた。アブラカタブラ。開けゴマ。言葉が違ってたらうまくいかない。

「最初に思いついた言葉は何? なんでもいいわよ」

「クリス」

心の中でつぶやいた。アパートの上の階に住んでいる子だ。頭の中ではまともそうな言葉を探していた。何も思いつかない。突然、ドアの取っ手が思い浮かんだ。取っ手。クリスの取っ手。いまだにどうしてその言葉を組み合わせたのか、あのときそれが自分にどんな意味があったのかわからない。

ルースは僕を見た。

「見つかった?」

「うん」と言ったけれど、急に恥ずかしくなった。

間違った言葉を選んじゃった。ばかみたい。たぶんうまくいかない。

「自分にその言葉をつぶやいてみて。でもゆっくりと一言ひとこと伸ばしてね」

「クリィースゥー……取っ手ぇ……」つぶやいてみた。

何度か繰り返した。

「じゃあ、自分に向けて唱えてね。これから15分繰り返すのよ」

ルースは僕を見た。僕はきっと、この人おかしいんじゃないのという表情でルースを見返していたと思う。

「一つひとつの言葉の音に意識を向けて。ほかのことは考えちゃだめ」

これは効いた。適当なマントラを唱えているとほかのことは考えられなくなった。クリスと取っ手なんていう言葉の組み合わせを何度も何度もつぶやいていたのに、クリスのことも取っ手のことも考えられなかった。僕がこの世にいることをクリスが知らなくても、僕の前歯のことをどう思っても、ニキビがあることに気づいても、気にならない。そんなことはどうでもいい。大切なのは、DJの声が聞こえなくなったってことだ。おしゃべりが止まった。

「大丈夫だから」と父さんが言った

僕は家でマントラを練習した。一度に何時間もやることもあった。いまではそれがなぜだかわかる。とにかく信じられないほど心が落ち着いた。繰り返すこと。意図的にやること。これが脳を変える確実な方法だ。ルースが教えてくれた呼吸法をやりながら、ろうそくの炎を見たり、ゆっくりとマントラを唱えたりしていると、ものごとが変わりはじめた。

ようやく父さんが家に帰ってきた。今度は二日酔いで申し訳なさそうにしていた。母さんが部屋から出てきて、またあれが始まった。いつものけんかだったけど、今回は立ち退き通知を受けたってことも原因だった。僕はその前の何時間か部屋で呼吸とマントラの練習をしていた。なぜだか説明できないけれど、僕は両親がいる部屋に入っていって、二人を愛していると言った。両親のことを違う目で見るようになった自分に気づいた。そして自分の部屋に戻った。僕は怒ってもいなかったし、動転もしていなかった。その状況を受け入れた。何分かたつと、頭の中でも外でも何も聞こえなくなった。家の中がしーんと静かになった。居間に戻ると、両親が黙って座っていた。

「大丈夫だから」父さんが言った。

「わたしたちもあなたを愛してるわ」母さんが付け加えた。

そのときは、本当に大丈夫なのかわからなかった。でも両親が精いっぱい僕を愛しているのはわかった。僕がずっと望んでいたような愛され方とはぜんぜん違っていた。でも、その瞬間はそれで充分だと思えた。

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スタンフォードの脳外科医が教わった、人生の扉を開く最強のマジック

ジェームズ・ドゥティ

スタンフォード大学の脳外科医、ジェームズ・ドゥティ氏は子供時代、アル中の父、鬱病の母の面倒をみながら生活保護で暮らしていました。大学進学など想像も出来なかった人生を変えたのは、手品用品店で出会った女性から教わった「マジック」でした。そ...もっと読む

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