からだを使って心をコントロールする方法

田舎町の貧しい崩壊家庭に生まれたジム少年は、ある夏の日、ふらりと訪れた手品用品の店で不思議な女性と出会います。その女性は「何でも欲しいものを出せるマジック」を教えてあげるから毎日店に来るように言いました。半信半疑で、でも、何かを期待しながら、ジム少年は店に通い続けます。最初に教わったのは「からだをリラックス」させることでした。それはなぜ……?

リラックスって難しい

ルースは僕の前に座って、僕は運動靴の穴をじっと見つめた。

「ジム」ルースがやさしく名前を呼んだ。

「いまこの瞬間にからだはどう感じてるかな?」

僕は肩をすくめた。家族のことを知ったルースが僕のことをどう思ってるだろうと考えていた。

「お腹はどう?」

「ちょっと気持ち悪い」

「胸はどう?」

「ギュッてなってる。少し痛い」

「頭は?」

「ガンガンする」

「目は?」

なぜだかわからないけど、そう聞かれた瞬間に目を閉じて泣きたくなった。泣くつもりじゃなかった。泣きたくなかったけど、どうしようもなかった。頰に涙が流れた。

「目がちょっとチクチクするみたい」

「ご両親のことを話してくれてありがとう。何も考えずに、口から出ることをそのまま話したほうがいいこともあるの」

「そう言うのは簡単だけど……」

ルースと僕は一緒に笑って、僕はその一瞬で気持ちが少し軽くなった。

「胸がもうあんまりつかえてない」

「よかった。いいことよ。からだの筋肉をすべてリラックスさせる方法を教えてあげるから、毎日1時間練習してね。毎朝ここで練習することをぜんぶおうちで夜、練習するのよ。宿題みたいなものね。リラックスって簡単に聞こえるけど、じつはものすごく難しいことなの。たくさん練習しなくちゃできないの」

それでもまだ僕はリラックスしたことがあったかどうか思い出せなかった。疲れたことはあったけど、リラックスしたことなんて思い出せない。その意味さえよくわからなかった。楽に椅子に座って目を閉じるようにルースは言った。もう一度、風に舞う葉っぱになった自分を想像してみて。

椅子の中の自分が少し軽くなった気がした。

「だらっとしちゃだめよ。リラックスしながらでも筋肉を使ってちゃんと目を覚ましていないといけないの。深く息を吸って、吐いてみて。3回よ。鼻から息を吸って、口からフーっと出す」

僕はできるだけ深く呼吸した。3回。

「今度はつま先に意識を向けて。頭の中でつま先のことを考えるの。つま先を感じて。少し動かしてみて。靴の中で丸めてから伸ばして。深く息を吸って、もう一度ゆっくり吐き出してみて。つま先に意識を向けて呼吸を続けて。つま先がだんだん重くなるのを感じて」

何度か深く呼吸しながら、つま先に集中しようとした。簡単そうだと思ったけど、難しかった。靴の中で少しつま先をもぞもぞさせていると、新学期が始まる前に新しい靴が買えるだろうかという考えが浮かんで、でもお金がないなとか思っているうちにつま先のことをまったく忘れていた。

僕がつま先以外のことを考えはじめると、ルースにはすぐにわかるようだった。別のことに意識がいくといつも、その瞬間にルースが深く息をするように言うからだ。どのくらいの時間呼吸をしながらつま先のことを考えてたのかわからないけれど、ひどく長い時間に思えた。

「今度は深く息をして、足に集中してみて」

お腹が空いてきた。それに退屈してきた。僕の足がマジックとどう関係があるんだ? そろそろ昼時だった。僕を飢え死にさせるつもりかもしれない。ルースには僕の心が読めていて、集中が途切れる瞬間にいつも声をかけてきた。

「足に意識を戻すのよ」

僕は足首を回して、大きくてバカバカしくてひもじい思いをしている自分の足のことを考えた。

「今度は足首のことを考えて。それから膝。ふとももを緩めて。足が重くなって椅子の中に沈んでいくように感じて」

世界一太った人になった自分を想像すると、椅子ごとすごく重くなって、毛羽立ったカーペットの中に沈み込んで地球の裏側まで行ってしまいそうに感じた。

「お腹の筋肉を緩めて。引き締めてまた緩めるの」

そのとおりにしてみると、ルースにも聞こえるほど大きな音でお腹がぐうと鳴った。

「次は胸。深く息を吸って吐いて胸を緩めて。心臓の音を感じて、その周りの筋肉を緩めるの。心臓は身体に血と酸素を送り出す筋肉よ。ほかの筋肉みたいに緩めることができるの」

心臓を緩めたらからだが動かなくなるんじゃないかと思った。そんなことになったらどうしよう?

「胸の中心に意識を集中して。胸の筋肉がリラックスするのを感じて。深く息を吸って、さらに筋肉を緩めながら心臓の鼓動を感じるの。そしたら息を吐いて、もう一度胸の筋肉を緩めることに集中してみて」

その練習をしているうちに、もう心臓がドキドキしていないことに気がついた。

その後、僕は医学部で心臓について勉強することになる。心臓は迷走神経を通じて延髄という脳幹の一部とつながっていることを知った。迷走神経には二つの部分があることや、リラックスして呼吸をゆっくりすることで迷走神経を活性化させると、副交感神経系が刺激されて心拍数や血圧が下がることも知った。また迷走神経が緊張すると交感神経が刺激されて、たとえば怖いときや驚いたときにドキドキするのはそのせいだとわかった。でも、あの日マジックショップで僕が理解したのは、ルースがリラックスのし方と呼吸のし方を教えてくれると、少し気分がよくなってちょっぴり落ち着くということだけだった。

「今度は肩をリラックスさせて。次に首。顎。舌を口の底に落として。目と額を緊張させてから緩めるのを感じて。すべてを、からだ中の全部の筋肉を……ただ……緩めるの」

ルースはそれからしばらく何も言わなかった。僕はそこに座ってリラックスしようとがんばって、息をゆっくり吸って吐いていた。そわそわしないようにした。

ルースが深く息を吸って、それをフーッと出しているのが聞こえて、僕も同じようにしなくちゃいけないと思った。呼吸に意識を集中すると、逆に息をするのが難しくなる。一度か二度、薄目を開けてのぞき見したら、ルースは目を閉じて僕とまったく同じ姿勢で座っていた。

やっとルースが口を開いた。

「オーケー。ここまでよ。目を開けて」

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ジェームズ・ドゥティ

スタンフォード大学の脳外科医、ジェームズ・ドゥティ氏は子供時代、アル中の父、鬱病の母の面倒をみながら生活保護で暮らしていました。大学進学など想像も出来なかった人生を変えたのは、手品用品店で出会った女性から教わった「マジック」でした。そ...もっと読む

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