あのこは貴族

”いいとこの子”が望むもの

【第19回】
地方から上京して慶応義塾大学に入学した、18歳の時岡美紀。
初めて東京生まれの同級生たちと出会って、カルチャーショックを受ける。
大人になって東京で働くようになると、 故郷に帰るたび、寂れていく街に一抹の切なさを感じるように――。
気鋭の作家・山内マリコがアラサー女子の葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。

 中庭のベンチでくつろぐ特権階級的な内部生は、まるでこの世界は全部自分たちのものみたいな顔をして、悠々とその一等地を占拠していた。

 美紀は内部生の男子とはほとんど接触したことはなかった。なんだか怖くて、目も合わさないようにしていたくらいだ。遠目から眺めたり、すれ違いざまに周辺視野で意識したりするだけで、ドキドキするほど遠い存在だった。

 それがたった一度だけ、彼らのうちの一人に声をかけられたことがある。

 心理学の授業のあとだった。みんなが散り散りに立ち去っていった教室で、その人はすっと美紀に近づき、
「悪い、ノート貸してくれない?」
 手を合わせながら、にこりと笑顔でせがんだのである。

「……はい」

 美紀はこくんとうなずくと、背負っていたリュックから慌ててルーズリーフを取り出し、その人に手渡した。

「サンキュ。あとで返すね」

 彼は受け取ったルーズリーフをひらりと上げてお礼を言うと、颯爽とどこかへ消えた。

 あとでと言われ、美紀はそのまましばらく教室で待っていたが、彼は戻って来なかった。そのルーズリーフは後日、内部生の女の子を通して返された。

「これ、青木くんから」

「え?」

「貸したでしょ? 青木幸一郎に」

                       *

 青木幸一郎はすらりと背が高く、肌は上品に白く、坊ちゃん刈りの黒い髪がさらさらと音を立てそうに揺れる。いかにも育ちの良さそうな襟付きのシャツを着て、鞄はいつも同じトートバッグ。美紀はずっとあとで、それがエルメスのフールトゥだと知った。

 内部生同士は男女の垣根なく仲が良く、いつも中庭のベンチでオーラを振りまいていた。その様子はテレビドラマみたいに空々しいが、まぎれもない現実である。まさに理想的なキャンパスライフそのもの。ただし一歩輪の外に立って眺めると、鉄のカーテンよろしく内と外とがはっきり線引きされていて、一般人には近づけない空気があった。その内側は絶対的な優越感で区分され、なんとも言えず排他的なのだ。本人たちは至って無邪気だが、どこか怖いような、安易に近づけない威圧感が漂う。

 美紀は彼らを直視しないよう注意を払いつつ、その実、中庭で彼らの前を通り過ぎるときは人一倍意識し、視界の端っこに彼らの姿を捉え、じっくりと観察したりした。

 平田さんは内部生たちを、「いいとこの子」と称した。

 いいとこの子、という言葉から美紀が思い浮かべるイメージは、ひどく冗談じみている。強欲でワガママで、お高くとまった下品な人々—というカリカチュアされたお金持ち像は、一代で財を築いた成金特有のもので、何世代も続く裕福な家に生まれた彼らはむしろ、おっとり育てられ、ガツガツしたところがまるでなかった。東京が地元で、実家から大学へのんびり通ってくる。お金があると心にまで余裕があるみたいだ。集団では恐ろしいが、一人一人は優しい性格で、とても感じがよかった。

 その〝いいとこの子〟の一人と平田さんが親しくなったのは、ゴールデンウィークが明けたころ。大学一年の春は盛りだくさんでめまぐるしく、状況や人間関係は刻一刻と変化する。平田さんは新しくできた友達にみるみる感化されていった。仕送りだけじゃ服も買えないと嘆き、時給の良さに惹かれて来月から渋谷の居酒屋でアルバイトをはじめると言う。

「ミキティも一緒にどお?」
 と誘われたが、断った。

 エネルギッシュな平田さんにつき合っていると、正直身がもたない。平田さんは授業の履修申告から食堂のシステム、合コンの誘いまで、いろいろ世話を焼いてくれたが、なんでも吸収したがる彼女と一緒にいると、美紀はヘトヘトになった。体力的にも精神的にも金銭的にも、ついて行けないと思いはじめていた。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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M_Tenenbaum 新宿駅からパークハイアットまでタクシー使う大学生って気持ちはわかるけど、ちょっといけ好かない。ただ、アフタヌーンティーしたい気持ちはわかる笑  2年弱前 replyretweetfavorite