■ 「幸福」とは何か?
大谷ノブ彦(以下:大谷) 平野さんは「幸福」って言葉をどう思いますか? それは自殺を止める抑止力になるものなのかどうか……。
平野啓一郎(以下:平野) 幸福という言葉はすごく両義的な気がします。『決壊』という小説でもテーマのひとつになっていましたが、『空白を満たしなさい』ではとくに「幸福になりたい」「せっかく一度しかない人生なのだから、幸福にならないといけない」という思いが人を追いつめてしまう側面を書いています。
大谷 ああ、そうですね。
平野 いまは数値化して「幸福度調査」とかやってますよね。ああいうのは、ベンサム流の功利主義のなれの果てという観もあります。自分の現状を振り返って、ふと「あ、幸福だな」って思いが事後的に芽生えるのはいいことだなと思います。それは人間にとって豊かなことですが、「幸福じゃなければいけない」とか「幸福にならないといけない」とかいうふうに目標にしてはいけないのではないか。
「貧しくても心の持ちよう次第で幸福なんだ」という考え方がありますけど、一理あるにせよ、無理に信じるべきことなのか? たとえば、社会がこれだけ露骨に格差を拡大して、低所得者の労働力を小狡く利用するような仕組みをつくっていこうとしているときには、貧困層が、「それでも心の持ちよう次第で幸福なんだ」と思っていてくれれば、富裕層は気楽でいいですよね。でも、そういう状況では、「いや、自分は不幸なんだ」と考えて、「こんな状態は間違ってる」と怒りを表明する必要もあるでしょう。どんな状態でも幸福だと考えるようにすべきだというのは、危険な考え方にもなり得る。
大谷 わかります、わかります。
平野 僕もやはり、自殺を止めたいというか、最初に話したように「生き続けるための別の考え方があるんじゃないか」ということを伝えたくて講演なんかもしてますけど、自殺が「悪いこと」だという言い方はしたくないですね。キリスト教でも社会道徳でも自殺は否定されますが、悪いことだという言い方をすると、自殺した人や遺族を傷つけてしまう。それはずっと見てきたことで、自分自身の実感にもあるし、その事態を避けたい。
それに、死にたいっていう感情も、一時的な精神的な不調が原因の場合もありますし。鬱がひどくなっている状態などもそうだし、そうなれば専門医の手伝いが必要になります。実際問題、周りにいる人たちは、やっぱり大変ですね。一度、死にたいという気持ちが芽生えた人でも、思いとどまってその感情がなくなったならいいんです。そうすれば周りの人たちもそのときに全力を尽くしたことで終わって安心できますけど、死にたいっていう感情が消えきらずに長引くこともあります。それで何度も自殺未遂を繰り返すようになると、周りの人たちも疲弊してしまう。だから、その人たちをサポートする仕組みも必要です。