■「自分が思っている自分」と「他者から評価される自分」
大谷ノブ彦(以下:大谷) この分人主義という考え方にはいつ頃、たどり着いたんですか?
平野啓一郎(以下:平野) 整理して考えるようになったのは、ここ数年ということになりますけど、昔から感じていた違和感が元になっています。たとえば、小学生の頃、僕の親が学校の先生に「平野くんは先生の前と友達の前とでは全然態度が違う。小器用に自分を使い分けている」と言われたことがあったんです。それで、そういうのはいけないことなのかな、と考えました。当たり前のことですが、先生に対して、友達と話すのと同じような言葉づかいで話したりはできない。だけど、なんとなく疚しい感じがしましたね。その後、僕は中学校の頃からよく読書をするようになっていたんですけど、本を読んでいろんなことを考えているときには、強烈な幸福感があるんですね。全く違う時代の、違う国の作家から、自分が本当に理解された、というような。それで「学校にいるときの自分」と「家に帰ってからの自分」を分けて考えるようにはなっていきました。
大谷 僕も小さいときから本を読むのが大好きだったから、その感覚はよくわかりますね。それに僕の人生経験の中でもいちばん苦しかった時期は「自分が思っている自分」と「他者から評価されているのだろう自分」とのあいだに大きなズレがあるのを感じて、ものすごく傷ついていた時。そういうときに、人と接しているときの自分と、ひとりでいるときの自分を分けて考えられるようになるのがいいんですよね。
分人主義は、対人関係などで追いつめられたりしたときに救いになり得る考え方なんだと思います。
■「嫌われていた」十代
平野 大谷さんはいつ頃、そんなに傷ついていたんですか?
大谷 はっきり覚えてるのは十七歳のときですね。分人主義の考え方を知ったときにはハッとしましたが、高校一、二年当時はずいぶん周りから嫌われていたと思うんですよ。いまも好かれてはないんですけど(笑)。
平野 僕もまあ、大概そうですけどね。
大谷 他人が評価を下す自分というのは、自分が思っている自分じゃないんですよね。そういうことをどうしても受け入れられず、何回も自分を殺すんです。「いま、自分は一度、終わったことにしよう」という感じで。
そのドン底は高二の途中で抜け出すことができたんですが、やっぱり吹っ切れない部分はどこかにあって。東京の大学を選んだのにしても、そんなところに理由があった気がします(大分県の高校を卒業後、明治大学に入学した)。場所を移して環境を変えれば、リセットできるから、もう一回やり直そう、みたいなことですね。
だけど、そうやってやり直しを繰り返している限り、苦しさからは逃れられないんです。たとえば、ひとつのアルバイトをしていて苦しくなったとき、そのアルバイトを辞めて、違う環境を求めるというようなことを何度もやっちゃうだけなんですね。
昔の僕は、人に自分のことをしゃべるときには、嫌われてた人間だったってことを全部、省略してたんです。つまり、なかったことにしていた。他者からどう評価されていたかには触れず、自分の主観の話しかしていなかった。言ってる意味、わかりますか? 分人主義を知って、自分がそうしていたことに気づいちゃったっていうか、思い出しちゃった。それが衝撃的だったんですよね。
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