奈良のある大きなホールでの独演会の時だった。
笑福亭鶴瓶が子供の頃のことを振り返り、「子供の頃は六軒長屋で……」と話し始めた。
「四軒や!」
すかさず奥の2階席から野次が飛んだ。
確かによく考えると四軒長屋だ。でもなんで知っているんだ。うろたえた鶴瓶はその声の主に尋ねた。すると2階席から思わぬ答えが返ってきた。
「おまえの姉や!」
会場は大爆笑だった。
実姉が鶴瓶に知らせることなくチケットを自分で買って来場していたのだ ※1。
笑福亭鶴瓶のスケベな人となりに影響を色濃く与えたのは間違いなく彼の家族だ。
四軒長屋の5人きょうだいの末っ子
鶴瓶は5人きょうだいの末っ子として生まれ、その中で「一番おもしろくない」と言われるほど、ユニークな家族の中で育った。
12歳離れた一番上が長男。その下に3人の姉が続く。父は油絵を描いていた趣味人で、夢を追い職業を転々としていたが、鶴瓶が生まれた頃には梱包資材の店を営み、生活は安定していた。
母は困っている人がいたら放っておけない性格で、遠くまででかけ無償で納棺師のような仕事をしていた。鶴瓶は母が36歳の時の子供だった。
生家は大阪の下町にあった。3畳、6畳の2部屋と長細い3畳の台所と2畳の玄関があった。そこに祖母を含め8人が暮らしていた。父の趣味である油絵の匂いが染み付いた家だった。四軒の家が連なった長屋が、ズラリと並び、その前の路地では、いつも子供たちがワイワイと遊んでいたり、割烹着姿のおばちゃんたちが、長い立ち話に明け暮れているような庶民的な下町だった。
幼いときから鶴瓶は、近所のおばちゃんたちを見つけては「ええ天気ですね」と話しかけていくような大人びた子供だった。
鶴瓶に根付いた2つの家族の思い出
そんな鶴瓶には、子供時代、ある大きな悔恨の思いを抱かせた思い出がある。
クリスマスの頃だ。
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