国家幻想の原点を古事記から問う

吉本隆明『共同幻想論』評、第四回は他界論について触れます。死後の世界を意味する「他界」という概念、動物の中で人間だけが親密な人がなくなったときにそれを意識します。それを「母制」と論じた吉本隆明は、そこからどのように国家幻想に結びつけていくのでしょうか?


改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

第2クラスターとしての母制論の問題

 禁制論をいわば全体の序論として、憑人論・巫覡論・巫女論というクラスターが語られたあとの議論には、他界論・祭儀論・母制論・対幻想論というクラスターが続く。この一連の議論の基本は、母制の共同幻想の時代を描くことだが、この議論クラスターの最初に他界論が置かれているのは、母制の共同幻想の裏面をまず描くためだろう。

 他界というのは、簡単に言えば、死後の世界である。死後の世界など理性的に考えれば存在するわけもないが、現代人でも墓を作るし、位牌に霊魂が宿ると考えるのは愚かしいにもかかわらず、国家と関連づけられた靖国神社という単立宗教法人施設に祀られた位牌を、現代人ですら大騒ぎの政治問題にしてしまう。

 こうした他界(死後の世界)は、人類の意識(および無意識)にどのように生成したのだろうか。吉本はこう見ていた。

 〈死〉が作為された自己幻想として個体に関連付けられる関連づけられる段階を離脱して、対幻想のなかに対幻想の〈作為〉された対象として関連づけられたとき、はじめて〈他界〉の概念が空間性として発生するということである。

 簡単に言えば、動物なら個体が死ねば死んだきりで、他個体の関係では多少の記憶がもたらす愛着があるにせよ現実の不在で終わる。その段階では、死者のいる世界空間は想像もされない。だが、性意識(対幻想)を介して愛する対象としての人が死んだ場合、さらに親密な性の関係が生み出した家族の一員が死んだ場合には、その死をただ、無への変化と見るのではなく、愛情の幻影として死後の世界(他界)にその存在を幻想するようになる。これらが母制の原点に存在している、というのが吉本の主張である。

 吉本によるこのクラスターの母制議論で興味深いのは、母制の原点となるのが対幻想(性的な愛着や家族)でありながら、中心軸である対幻想の議論が、一連の議論クラスターの最後に置かれていることだ。この対幻想論は、表向き対幻想を扱っているが、実際には、生殖の男女の幻想である対幻想から、共同幻想的な家族幻想への移行の仕組みを扱っている。やや撞着した記述のようだが、こう説明されている。

 〈対なる幻想〉を〈共同なる幻想〉に同致できるような人物を、血縁から疎外したとき〈家族〉は発生した。そしてこの疎外された人物は、宗教的な権力を集団全体にふるう存在でもありえたし、集団のある局面だけでふるう存在でもありえた。それだから、〈家族〉の本質はただ、それが〈対なる幻想〉だということだけである。

 ここでは家族長のいるやや大規模な家族を想定していもよいだろうし、議論全体では母制における長老的な老婆を想定してもよいだろう。

 ここで私の留保的な意見を挟んでおきたい。吉本隆明が「母制」としている人類の段階は実際の人類史において普遍的に存在したかどうかはわからない。同様に、いわゆる狩猟採集から農耕社会への変化というものを人類史に普遍的に措定してよいかは疑問である。おそらく「母制」に関連して言いうることは、人類が他の類人猿に比べ、メスの閉経後寿命がだんとつに長期であることから、老女は集団の権力的な地位または配慮にあったことは普遍的だろうと想定できることと、また農耕社会はいわゆる人類が書き物の歴史としての文明の段階に入る時期にはある決定的な意味(静止地域の強大な王権)を持つようになったことくらいである。私が言いたいのは、吉本隆明の『共同幻想論』はその高度な抽象性ゆえに、いくつかの細部の反駁では全体像が揺るがないということでもある。

国家の原点が生成してくる仕組みとして『古事記』が問われる
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