リーダーは見守る勇気を持たなければならない
佐々木 私の父親はプロフェッショナルと呼べるような仕事をしていたわけではありませんが、従業員の生活に対する責任感は非常に強いものがありました。彼らを守らなければならないという意識は、ときおり職場を訪れる私にもひしひしと伝わってきたものです。
私が考えるリーダー像も、まずあげるべきは「責任を持つ」ということです。
サッカーの監督というのは、契約を結んだ瞬間から離職へのカウントダウンが始まっているのです。何十年も同じクラブを率いているのは、きわめてレアなケースです。
自分なりに納得できる仕事ができても、成績を残せれなければ責任を問われます。リーダーにとっての責任は、太陽が照らし出す自分の影みたいなものでしょうね。責任からは決して逃れられません。
山本 直接的に影響をもたらす範囲には限度があるけれど、結果に対する責任に限度はありません。もし組織の誰かが社会的制裁を受けるようなことになれば、事件の現場にいなくても監督責任を問われるのが上司です。サッカーチームというのは公の集団ですから、グラウンドを離れたところでも社会人としての強い自覚が求められますので。企業人としてはもちろん社会の構成員としての意識を高めていくのも、リーダーの役割でしょうね。
佐々木 そういった諸々の心配事は尽きませんが、怖がらずにやっていくしかないのも事実です。
組織が思うどおりに動かなかったら、自分の責任が問われる。だからといって、目標達成のために組織をがんじがらめにしたら、部下を縛りつけることになってしまう。個人の良さが、上司の両手からこぼれ落ちていくでしょう。
そうではなくて、リーダーはすべてに腹を括るべきなのです。何があっても動じない。すべてを受け入れる。自分で責任をとればいいのだ。私はそういう気持ちでチームと向き合ってきました。
約束事を作り上げたら、あとは個人の可能性を信じます。事細かに指示を出そうとしても、組織は自分の見えないところでも動いているわけですし、私の目の前で行われるサッカーの試合にしても、ゼロから10まで指示することはできません。
私が選手に指示を出し続けて、チームが成果をあげることができたとしても、何もかもが同じ条件で次の試合ができるわけではありません。