あのこは貴族

内部生と外部生

【第18回】
地方から上京して慶応義塾大学に入学した、18歳の時岡美紀。
入学式で東京生まれの同級生たちに出会い、カルチャーショックを受ける。
おしゃれで裕福、すでに友達グループを作っている彼らは、「内部生」――。
気鋭の作家・山内マリコがアラサー女子の葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。

第二章 外部 (ある地方都市と女子の運命)

 新入生で沸き立つ慶應義塾大学日吉キャンパスの銀杏並木を、ピンストライプのネイビースーツに身を包んだ十八歳の青木幸一郎が、ゆらゆら歩いている。四、五人の友人と連れ立って、微塵も気負いのない態度。入学式だというのにめずらしげに校舎を見上げることも、記念撮影のシャッターボタンを人に頼むことも、友達を作らなければと焦ることもなく、彼らはすでに倦んだような顔をして仲間同士で群れ、じゃれ合っていた。つまらなそうに暇を潰す素振りは、休み時間の延長のようだ。

 それもそのはず、彼らは大学の校舎からほんの数十メートル離れた、同じキャンパス内にある高校に三年間通っていたわけだから、ここはまぎれもなく彼らのテリトリーなのだった。地元のようにリラックスして振る舞う彼らの少し粗野な態度は、それだけで田舎から出てきたばかりのナーバスな新入生たちを大いに威圧するが、幸一郎たちがそのことに気を留める気配はまるでなかった。見知らぬ新入生などまったく目に入っていないのかもしれないし、自分たちとまるきり違う立場の人間の気持ちをいちいち斟酌できるほどまだ大人ではないのかもしれない。いずれにせよ彼らは、自分たちにとって馴染み深いこのキャンパスを、大勢の知らない人間がお祭り気分でわいわい踏み荒らしているのを、どこか冷めた、諦めたような目で眺めているのだった。幸一郎たちのグループは人混みを避けて中庭に場所を移し、植え込みのベンチに陣取って気怠くだべった。以来そこが、彼らの定位置となった。

 同じころ十八歳の時岡美紀は、「平成十三年度慶應義塾大学入学式」と書かれた看板の前に立ち、田舎から出てきた母親と共に、はにかみながら写真を撮ってもらっている。シャッターボタンを押したのは、美紀とともに同じ高校から慶應に進んだ唯一の女子である平田佳代だが、以前から仲が良かったというわけではなかった。地味で努力家、ガリ勉タイプの美紀と比べると、平田さんは進学校ではめずらしく流行に敏感なタイプ。平田さんはオリエンテーションで一緒になった子からすでにいろんな情報を聞き出していて、右も左も分からない美紀にあれこれ教えてくれた。

「日吉駅にあったでっかい銀の玉のオブジェ、見た?」

「え、よく見てなかった」

「あったじゃない、ほら、こんな大きな」と、美紀の母が代わりにこたえている。

「あの玉、〝ぎんたま〟って呼ばれてるんだって。駅の向こう側の商店街は見た?」

「ううん、まだ」

「あっち側は、〝ひようら〟って言うらしいよ」

「へーそうなんだ」と、つまらない返ししかできない。

 一方平田さんはハキハキと快活で、
「この銀杏並木、いまは枝しかないけど、秋には真っ黄色になるんですよ」
 気をつかって美紀の母までナビゲートしてくれていた。

 美紀は地獄の受験戦争を勝ち抜いてこの場所へ晴れがましい気持ちでやって来ているが、ツーピースのジャケットの胸元に古くさいコサージュをつけた母親と連れ立っていることも恥ずかしければ、中途半端に伸びたショートの髪型も、量販店で買った安物のスーツもなにもかも気に入らず、わずかばかりの自信もなくて、おどおどしているのを隠すのに必死だった。平田さんを見ていると、慶應大学に合格するほどの勉強量をこなしながら、化粧の仕方を憶える時間などいつあったのだろうかと、不思議に思ってしまう。

 さらに謎だったのは、スーツ姿の新入生らしき人の中に、平田さんよりもはるかに垢抜けて、女としてすっかり完成しているような、きらきらした子たちが交ざっていることだった。ブランド物のバッグを提げて高いヒールの靴を履き、化粧もバッチリ。彼女たちはなぜだかすでにグループができていて、一体いつの間に仲良くなったんだろうと美紀は思う。あたしが出席したオリエンテーション以外に、親睦を深める機会がなにかあったのだろうか。入学式という状況に、まるで物怖じせずに振る舞う都会的な女の子たちの—そして彼女たちを取り巻くスマートな風貌の男子たちの—存在によって、美紀のいたたまれない気持ちは加速し、より一層アウェイ感を抱いてしまうのだった。

「ねえ、あの人たち何者なの?」

 美紀は中庭のベンチにたむろしているグループを指して、平田さんにたずねた。

「ああ、内部生でしょ」

「内部生?」

「うん。慶應ってエスカレーター式だから、高校からそのまま上がってくる人がいっぱいいるらしいよ」

 美紀は高三の担任に取り寄せてもらった学校案内のパンフレットを思い出した。埼玉や湘南、果てはニューヨークにまで関連校があることに、担任の先生も驚いていた。

「中学受験で入ってくる人もいるし、高校から来てる人もいるんだって。でもいちばんすごいのは、幼稚舎からの人たちらしい」

 平田さんはなぜかそこで、声をひそめた。

「幼稚舎って、幼稚園から慶應ってこと?」

「違う違う。小学校を、幼稚舎って呼ぶの」

「へぇー……知らなかった」

「あたしもよくわかんないけど、幼稚舎から慶應の人がいちばんエリートで、ポジション的に上なんだって。政治家とか、本物の金持ちの子供がいるんだって」

「本物の金持ちってなに? 社長ってこと?」

 美紀が半笑いで訊くと、平田さんも「さぁ」と首を傾げる。

「東京とか埼玉に住んでる普通の家の子は、中学とか高校で受験して入ってくるみたい」

「じゃあうちらみたいに大学受験で入ってくるのは、地方の人ばっかりってこと?」

「そう。だからうちらは、外部生」

「外部生……」

 まるで〝部外者〟みたいな聞き慣れないその言葉を、美紀はぽそりと反芻した。

 入学式が終わると、母親は今日中に家に帰って夕飯の支度をしなくちゃいけないからと、東京駅に向かった。

「送って行こうか」
 美紀が言うと、
「あんたは平田さんといなさい」
母は一人ですたすたと日吉駅の改札に入ってしまう。

 母が一人で電車を乗り継いだり、駅の構内で迷子になったりするところを想像すると、胸が締め付けられた。見えなくなるまで背中を見送りたい気持ちもあったけれど、平田さんの手前、美紀はほどなく「行こっか」と切り上げた。平田さんは「いいの?」と訊いてくれたが、美紀は「うん」と、なんでもないことのように言ってみせた。

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あのこは貴族

山内マリコ

東京生まれの華子は、箱入り娘として何不自由なく育ったが、20代後半で彼氏に振られ、初めて人生の岐路に立たされた。焦ってお見合いを重ねた末に、イケメン弁護士「青木幸一郎」と出会う。 一方、東京で働く美紀は地方生まれ。大学時代に...もっと読む

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コメント

shi_naoking55 こういうのが東京カレンダー書いてんだろうな 約4年前 replyretweetfavorite

___tanuki___ とにかく出てくる登場人物がすべて例外なく死ぬほどむかつくんだけど、なぜか毎回読んでる。今日のは一際むかつく 約4年前 replyretweetfavorite

maricofff cakes連載中『 いよいよ第二章スタートです! 華子の物語から一転、地方出身の美紀は、死ぬほど勉強がんばって東京の大学に入学したけれど…。 約4年前 replyretweetfavorite