AKB48とSNSの原理
00年代前半にはまだCDバブルの余熱が残っていたが、00年代後半から10年代初頭にかけては、いよいよ音楽ソフト市場の縮小が大きく取り沙汰されるようになっていく。
その変化を牽引したのがインターネットの普及だった。小室哲哉はこう分析する。
「YouTubeが一番大きかったでしょうね。『映像が見れてMP3と同じ音で聴けるんだったら、別にこれでいいじゃん?』と思うようになった。その時点で、音楽にお金を払うことに疑問を感じる風潮が生まれてきた。『これが21世紀なんだな』って思いました。音楽はどこでも聴けて、当たり前のように身近にあるものになった」
ネットワークの帯域が広がり、いつでもストリーミング配信の形で音楽を聴いたり動画を視聴したりすることができるようになったことで、「コンテンツを所有することへの欲求」自体が減退していった。
ツイッターやフェイスブックなどのSNSが普及し、メディア環境、そして社会のあり方が大きく変わってきたのもこの頃だ。自ら発信することのハードルが下がり、身近な友人から著名人まで様々な人とネットを介してやり取りすることが容易になった。
コンテンツからコミュニケーションへの欲求の変化。それが00年代後半から10年代初頭にかけてのわずか数年間に起こったことだった。
そして、その変化に最も早くかつ効果的に対応していたのがAKB48だった。
(PHOTO: Getty Images)
秋元康は2005年に秋葉原に専用劇場を立ち上げ、「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーでAKB48のプロジェクトを始動している。当時の観客は10名程度。スタートから1〜2年は、まだ無名のグループだった。
2007年に刊行された『48現象』(ワニブックス)という本には、グループの初期の模様やその戦略が詳細に明かされている。大きな特徴はメンバーだけでなく、ファンの発信にも大きなウェイトが置かれていること。「ヲタ」と呼ばれるコアファンのブログ紹介やインタビューにかなりの紙幅を割いている。
このような作りになっているのは、AKBの魅力が単にメンバーの女の子だけでなく、ファンやスタッフも含めたムーブメント全体にあるからだ。ファンにとってメンバーは、立場は違えど同じ場所に集まって公演を盛り上げる、近くて一体感を感じる存在だ。だからこそ同書はファンについても十分な紙幅を割いて、書名にも「現象」と付けている。AKBのキャッチフレーズは「会いに行けるアイドル」だが、それもこのような距離の近さを意味していると言っていいだろう。ファンにとってそういう楽しみ方のできるアイドルは昔からいたが、『AKB現象』のような形で公式にそれを喧伝していったのがAKBの新しさと言っていい。 (さやわか『AKB商法とは何だったのか』大洋図書)
AKB48がマスメディアに進出し全国区の知名度を得たのは、こうした参加型のシステムで濃密なファンコミュニティを築き上げた後のことだ。
次の章で後述する「選抜総選挙」についても、秋元康はテレビやラジオなどでたびたび「自分でメンバーを選んだらファンから『わかってない』と言われたので、年に一度、選挙をすることにした」と始めた理由を語っている。
ブレイク後も、AKB48は「Google+」や「755」など数々のSNSを用い、メンバーそれぞれの発信、ファンとの交流に力を入れている。しかし、それ以前に、立ち上げ当初からAKB48はきわめて「ソーシャルメディア的なアイドルグループ」だったと言える。
そして、ファンの発信を大きな推進力にするという意味では、その後の女性アイドルグループも基本的には同じ原理を用いているとも言える。
こうして秋元康がAKB48を成功させた方法論について、同世代で、対談でお互いのことを〝戦友〟と語ったこともある小室哲哉は、その背景をこう語る。
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