十一
それから二十一年後の明暦三年(一六五七)三月、遺骸の処理も一段落した七兵衛は、保科正之の招きに応じ、芝新銭座の会津藩中屋敷を訪れた。
会津藩中屋敷は火事で大半が焼けてしまったため、かつて広壮華麗と謳われたその姿は見る影もなかった。
焼け残った一棟の前庭で控えていると、保科正之が現れた。
「なぜ、そこにいる」
正之が怒声を張り上げる。
「はっ、いや——」
七兵衛は、案内をしてきた取次役の指示に従ったまでである。
「そなたを叱っておるのではない。そなたの値打ちも分からぬ、わが家臣に憤っているのだ」
「もったいない」
七兵衛が筵に額を擦り付ける。
「ちこう」
「へっ」
「こちらに来て、共に飲もう」
顔を上げると、盃を振っている正之の姿が見えた。
「そう仰せになられても——」
「構わぬ」
致し方なく広縁に上がったが、左右に控える家臣の鋭い視線を感じて、七兵衛はそれ以上、中に入れない。
「何を遠慮しておる。そうか——」
正之が、ようやく気づいた。
「そなたらは次の間に控えていよ」
正之が命じると、広縁にいた家臣たちが座を外した。
「これでよいな」
「は、はい」
七兵衛は額に冷や汗を浮かべながら、正之に相対する座まで膝行した。
「此度は苦労であった」
「ありがとうございます」
正之のその言葉だけで、あらゆる労苦が報われた気がする。
「しかし、あれだけの大仕事を、よくぞやり遂げたものだ」
明暦の大火の後始末で、最も困難な仕事が遺骸の処理だった。すでに遺骸は腐敗が始まり、蛆が無数に湧いている。こうしたものに触れるのは、誰でも嫌である。それゆえ人を雇って仕事をやらせても、目を離せば怠けるのは明らかだった。だからと言って、それを見計らって大人数を雇えば、予算が足りなくなる。遺骸を運ぶ大八車の数も、そろえられるかどうか分からない。
そこで、江戸城下の札の辻に「牛島新田まで遺骸を運んできた者には、一体につき十文出す」という触書を掲げたところ、人々は大八車に遺骸を積んで、次々にやってきた。
損傷が激しいものでも一体と認めたので、皆、遺骸を選ばずに運び込んできた。
海に浮かぶ遺骸も、漁師たちに集めさせた。それには一体につき二十文出したので、漁師たちも競うように集めてきた。
一方、焼き場の人足は、口入屋をやっていた頃の知識や眼力を生かし、屈強なだけでなく忍耐強そうな者を集めた。
七兵衛は必要なことを手控えに書き並べ、それに優先順位を付け、次々にこなしていった。それにより江戸市中に転がっていた遺骸が、瞬く間に片付けられていった。
結局、牛島新田に集められた遺骸は六万三千四百三十に上った。また水死体は四千六百五十四を数えた。これらを合わせると、犠牲者の総数は六万八千余に上った。
その無味乾燥な数字の中には、かけがえのない兵之助も入っている。それを思うと、悲しみが込み上げてくる。
——兵之助、そっちで皆に可愛がってもらえよ。
こうして遺骸をひとまとめにして供養することで、冥途にもう一つの江戸ができるような気がした。死んでいった人々は、その中で幸せに暮らしていくに違いない。
それを思うと、七兵衛は幾分か気が楽になった。だが六万八千余という数字は、あまりに重い。
死んでいった者たちにも、それぞれの人生があった。うれしいことがあれば笑い、腹が減れば飯を食らい、仕事や勉学に精を出して、それぞれに見合った幸せを手に入れようとしていた。
一人ひとりが誰かを愛し、誰かに愛され、たった一つの生を生きていた。それが突然、奪い去られたのだ。
——こんなこと、二度とあってはならない。
膝を握る手の甲に涙が落ちる。
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