九
寛永十四年(一六三七)の夏、汚れた夜具から擦り切れた襦袢まで、家財道具一切を処分し、大坂までの最低限の旅支度を整えた七兵衛は、東海道を西に向かった。
久しぶりに鋭気が横溢し、その日は十五里を歩いて平塚に泊まった。翌日、大磯を通り過ぎて国府津を経て酒匂川河畔に出たが、渡し賃が惜しい。まだ先は長いのだ。そこで七兵衛は脚絆を解き、草鞋を脱いで川に踏み入った。酒匂川は中ほどでも膝程度の深さだったが、意外に流れは速い。
それでも何とか渡っていたが、川の中ほどでつまずいてしまった。激痛が走る。傷を負ったことは確かだが、激流を渡るのに必死で確かめている暇はない。ようやく対岸にたどり着き、痛みの激しい左足の爪先を見ると、親指の爪が剥がれてしまっていた。
——ああ、旅の初めに何たることか。
しかし嘆いていても仕方がない。七兵衛は手拭いを裂き、親指に厳重に巻いた。それでも痛みが激しく、とても歩けたものではない。これから東海道で最難所の箱根越えであり、この傷では到底、越えられるとは思えない。かといって、傷が癒えるまで小田原に滞在する旅費などない。
七兵衛が途方に暮れていると、眼前に老人が通りかかった。どうやら旅人らしい。
「どうした」
老人が慈愛の籠った眼差しを向けてきた。
「見ての通りです」
すると老人は、自分の葛籠を下ろして軟膏を取り出すと、「これはよく効く薬だ」と言って、七兵衛の爪先に塗ってくれた。
「なぜ、見知らぬ者に、こんな親切をしていただけるのですか」と問うと、老人は「旅人は皆、兄弟。互いに助け合いだ」と言って笑った。
「これでよし」
老人が立ち上がる。
「ありがとうございました」
「四、五日すればよくなる。それまでは小田原に逗留するがよい。無理して箱根を越えようとすれば、傷が悪化する。くれぐれも養生することだ。わしは先を急ぐので、これにて御免仕る」
そう言うと、老人は行ってしまった。
その後ろ姿に頭を下げながら、七兵衛は老人の言に従うことにした。
——傷が癒えるまでは何とかして食いつなぎ、金が貯まったら、また旅を続けるか。
しばらく休んだ後、七兵衛が立ち上がると、道端に何かが落ちていた。
——紙入れ、か。
それを拾い上げると、ずしりと重い。
「あっ」と思って中を見ると、小判が十二枚も入っているではないか。
——たいへんだ。
先ほどの老人は「先を急ぐので」と言っていたが、何かの商用で使う金に違いない。
痛い足を引きずりつつ駆け出してみたものの、すでに小半刻は経っており、老人の姿は見つけられない。小田原の奉行所に届けようかと思ったが、そんなことをすれば、小役人に着服されるだけである。
やがて日も暮れてきた。小田原宿では飯盛り女が表に出て、さかんに客引きをしている。その白くて太い腕を振り払いつつ、七兵衛は老人を捜した。